硬式テニス部が又又「快挙」だ。何と男子、女子共に夏のインターハイ予選を勝ち抜き「優勝」した。並み居る強豪校を倒し、遂に栄冠を手にした。これで8月2日から長野県松本市で始まる「全国高等学校総合体育大会(インターハイ)の出場切符を手にした。」テニス部としては本校始まって以来の快挙で素晴らしい。私は早速硬式テニス部にはお祝い金を支給し、特にインターハイ組にはユニフォームを新しくプレゼントすることを決めた。又「軟式野球部」が強い。元々強いクラブなのだが今年は良いピッチャーを得て勝ち進んでおり、5月16日に河南高校と決勝戦だ。又アメリカンフットボールがこの度、高体連から優秀チーム表彰を受け、関西大会の出場権を得て5月30日に万博グランドで広島県の崇徳高校との試合だ。コロナ禍の中ではあるが以上のように本校の運動部は頑張ってくれている。
スポーツは分かり易い。プロセスも結果も明確であり、だから万人が愛するのであろう。先天的な能力、練習環境、練習による技術の向上、個人の精神力、チームワーク、卓越した指導者の存在、等々とあらゆるものが凝縮した結果が勝ち負けに繋がり、人はそれを見ることで感動し、前向きに生きていく力を醸成することが出来る。ところで私は今一番気がかりな事が「スポーツの祭典」と言われる東京オリンピックの事である。このような状況下で本当に実施できるのか?最近では益々懐疑的になっている。「マジ、やるの!?」と言う気分である。
日常的にジレンマ、ディレンマという言葉は多く使われているが、ある問題に対して2つの選択肢が存在し、そのどちらを選んでも何らかの不利益があり、態度を決めかねる状態の事を言うが、オリンピックの開催権限を有しているIOC,JOC.日本国政府、それに東京都の小池知事、組織委員会の関係者はまさに内心ではジレンマに陥っているに違いない。そうでないとおかしいと思う。普通の日本人の感覚ならオリンピックの開催に「進むも地獄、退くも地獄」の進退両難や「板ばさみ」を当然感じている筈である。様々な経緯や利権等々「やめるべきかな?」と思っていても「しがらみ」があって口に出せないのである。私は「安全、安心な大会を実施できる」と未だに宣わっている人びとの気が知れない。唯一の救いの手である「ワクチン」も接種が遅れ、2020東京オリンピック」がまさに「抜き差しならない羽目に陥っている」と言った状況が日々深刻化しつつある。
「誰が何時、オリンピックの中止を判断するのか?そのXデーは近づいているのか?」。日本人なら今まで声高に中止を声にするのは憚られたのは理解できる。私とてやれるならやったら良いと思うが、事態は最早「やれるならやる」のではなくて「今やる意味が何処にあるのか」と考えに変わってきている。強行してやって世界の笑いものにならないか!5月中旬のIOC会長の来日は見送られ、ネット上では中止の声が膨れつつある。ワクチンの選手優先接種には反発が出ている。今朝は初めて大手新聞は「懐疑的」と報じた。政府は招致が決まって以来既に1兆6440億円を投じて、何としても無観客でも実施と思うのは分からないわけでは無いが、「誰の為の祭典?」と問いかけたい。コロナ禍の中で多くの国民が祝う祭典とはならない。大体オリンピックがアスリートの為だけのものではなかろう。「損切り」してでも中止すべきが正しい判断ではないかな?誰もマスク姿の選手入場など見たくはないのではないか?東京が駄目で2年後の北京が出来たとしてもそれはそれで良いではないか。今中止と決断した人を私は尊敬するだろう。