2021年5月21日金曜日

世阿弥の花鏡から「離見の見」

雨が少し弱くなった頃合いを見て学院神社に参拝した。明日は学校設定の休校日だから連休となる。「生徒と教職員の安全、学校での曲が事、災いの無いように祈願」したが今や私の仕事は「学校を守る」ことだけに一点集中していると言っても良い。苦労してここまでの学校に育ってきた。学校を守る為ならこの先、道を塞ぐもの、どのような抵抗でも身体を張って徹底して粉砕し、殲滅する覚悟は出来ている。それには「仲間」が要る。私を理解し「迅速にタイミング良く」仕事を進めてくれる優秀な仲間こそ宝物である。仕事は何と言っても早さとタイミングだ。



 



ところで本校の定年は満年齢で65歳になった年の年度末、すなわちその年度の3月31日としている。しかし実際の運用はご本人が本校での継続勤務を強く希望し、私が総合的に判断して「是非とも継続勤務を!」とした場合は非常勤講師として70歳まで年次単位での更新とはなるが本校の職員として教壇に立てる。生徒に教科を教えると言う教師としての原点に立って、煩わしい校務分掌やクラブ指導などから解放されて教壇に立つことだけの「誇りとゆとりある生活」は悪いものではないと思う。うらやましい限りだ。

 


何故このような事をグダグダと書いているかというと、定年退職年齢を現在の65歳から70歳まで何時、正式に延長するかということを考え続けているからである。65歳の定年は「人生100年時代」を考えれば些か早い感じがしてきている。体力は確かに衰えるが気力と知力はまだまだ「若い者には負けていない」気概が昭和生まれの人々にはある。多くの私立学校で定年を70歳にしているところはまだ無い筈である。私はいち早くこの施策を打ちだしたいと思っているのだが、事はそう簡単ではない。

 過去、私は二人の専任教諭を70歳まで雇用継続した。一人は国語科、もう一人は保健体育科だ。お二人とも70歳まで立派に貢献してくれ、悠々自適にその後の人生を楽しんでくれている筈である。現職では女性事務職員がまだ元気で働いていてくれている。そして更に教師として2名居られる。一人は69歳、もうお一人は67歳の専任教諭であったお人である。しかし残念ながら67歳の先生は遂先ほど5月半ばと言う年度が始まった時であったが突然「ある事由」をもって退職された。こういうのは本当に迷惑千万で困るが、実は「あり得るな?」と内心想像していたことがやはり起きてしまったのだ。だから雇用を継続した私の責任として強く姿勢を保って自主退職を認めたのである。

 その先生が「これは自分の性格だから直らない(治らない)」と予てより言っていたのだが、これは「致命的な発言」である。幾ら年齢を重ねようとも給与を戴く仕事の結果を「性格の仕業」にして貰っては困る。歳を取れば取るほど「味わい深く」持って生まれた資質・性格をオブラートに包んで生徒や組織、他人に接して貰うことが「ベテランの味」というものだ。少し難しい言葉だが「離見の見」と言う言葉がある。この言葉は、世阿弥の能学書「花鏡」のなかにあり、その中で「観客の見る役者の演技」は、離見(客観的に見られた自分の姿)であると言う意味である。 離見の見、すなわち離見を自分自身で見ることが必要であり、自分の見る目が観客の見る目と一致することが重要であると、世阿弥は述べている。

 


この哲学的見識を学校に置き換えた場合、教師は果たして世阿弥の能楽論のように、演者(教師)が、自分をはなれ観客(生徒)の立場で自分の姿を見ることが重要ではないか。教壇に立っている教師としての自分の演技(授業の仕方)について客観的な視点をもつことをいう、この離見、案外と難しく、相当の努力と我慢が必要である。性格や資質を生で表に出すのは愚の骨頂であり「人生は一幕の演劇」ではないか?生涯に亘って演技を続けることが生きて行く知恵だ。今日の自分の立ち振舞いの「後姿」はみっともないのでは?と思うくらいが丁度良い。私などこの歳になっても時々、恥ずかしい後ろ姿を反省している。世阿弥20年間の能芸論書をまとめた花鏡の中には学校関係者に多くの示唆を与えてくれる文言が多い。芸の奥義として「初心忘るべからず」と記され、世阿弥の芸能論の精髄と評されているが、置き換えて「教師になった時の初心を忘れてはならない」「咲くのも散るのも心しだい」。心に響く言葉である。