開校100周年目の1学期も「押し迫って」「押し詰まって」来た。「押し迫る」も「押し詰まる」も、ある事や時期が「近づいて来た状態」「間近になった感じ」を言うが、前者より後者のほうが「より差し迫った状態」「余裕のない感じ」を指している。だからNHKのアナウンサーは「暮れも押し迫る」は暮れに近くなる頃に使い、「暮れも押し詰まる」は暮れの中でも、12月末頃に使うと聞いた。「凄いね!」さすが喋りのプロだと思う。さすれば今日の私は明日の終業式の前日だから「1学期も押し詰まってきた」と使わねばならない。このような「こだわり」は私の真骨頂で、「ピタッ」と決まった言葉にこそ魂は宿ると信じているから、選択する言葉にも神経を使う。言霊の国、日本に生まれて本当に良かった。英語など表音文字で言葉は単なる「ツール」であり、日本語の方が何倍も味わいがあって素晴らしい。
14時10分から硬式野球部が夏の大会第1戦目を迎え、私は住之江球場に急いだ。相手校は公立の合同チームである。過日、遠山監督が私に「T-シャツ」をくれ、それに保護者会からは名前入りのタオルだ。「獅子奮迅 浪速」と織られていた。獅子奮迅とは「獅子」は、ライオンのことで、「奮迅」は、獲物を狙って奮い立ち、激しくすばやく動き回るさまのことを言うが、獅子奮迅の言葉には後に続いて「働き」が来なければならない。今日は相手チームが府立の合同チームであったが、本校の選手はピッチャーも良く投げ、バッターも良く打った、13対1の5回コールド勝ちを収めたのである。全員が獅子奮迅の働きをしてくれたのである。これで明日の終業式は気持ちよく迎えられる。