2023年7月12日水曜日

田邊柳奨先生と遠山昭治先生

 今日は書道家の柳水藝術協会会長の「田邊柳奨」先生が学校にお見えになった。先生は9月の世界平和デーの日に大阪護国神社で奉納揮毫されるのだが、その時に本校書道部も参加する。今や全国の多くの高校で統一した奉納揮毫であり、私は趣旨に賛成し、既に4年目となった。特に田邊先生の存在が大きく、私はその迫力ある字体と姿勢に何時も感服している。先生は単に書道家ではなくて、想墨画家として「一筆入魂」をモットーに書画作家活動をされている。この点が素晴らしい。神社、仏閣へ祈りの書を奉納揮毫されたり、企業の経営者の想いをくみとり、書にしたためていると先生は話された。大阪阿倍野で1950年創設の芸術協会(大阪阿倍野)を継承し書道教室での指導、弟子育成を行っておられ、最近では橿原神宮や四天王寺で奉納揮毫され、これは大きく新聞でも報道された。 


時間が有ったので久し振りに「ふくろうベースボールスタジアム」に行き、遠山昭治監督率いる硬式野球部Aチームの激励に行った。遠山さんはご承知のように、熊本県ご出身の大変有名な元プロ野球選手である。2002年の現役引退後は、阪神タイガースのコーチや野球解説者・野球評論家としての活動を経て、「201911月から浪速高等学校の硬式野球部の監督」に私が招聘し今日に至っている。八代第一高等学校ではエースとして活躍し、1984年秋季九州大会県予選では準々決勝に進むが、鎮西高に完封負けを喫する。在学中に投手として対外試合で通算693敗、打者として打率.44035本塁打を記録。また、ノーヒットノーランを11回達成した逸材中の逸材であった。 


1985年のNPBドラフト会議において、この年に球団史上初の日本シリーズ制覇を達成した阪神タイガースから1位で指名。清原和博の指名重複に伴う抽選で独占交渉権を逃した末の単独再指名であったが、推定年俸360万円という条件で入団したと記録にはある。1986年には、一軍公式戦で先発ローテーションの一角を担いながら8勝をマークし、この年のNPB12球団の高卒新人投手としては最高の成績で、シーズン終了後には、推定年俸900万円という好条件で契約を更改したとあった。昇給率は150%で、2013年に藤浪晋太郎が200%で契約を更改するまで、阪神の高卒新人選手における最高記録であった。また、阪神からのドラフト指名を経て入団1年目に一軍の公式戦で8勝を挙げた左投手は、社会人野球(JR東日本硬式野球部)経由で2021年に入団した伊藤将司まで35年間現れなかった。 

私は遠山監督を全面的に信頼し応援している。様々なタイプの野球少年を指導しながら、毎日クラブ員と接しているが朝早くから登校し入試広報部の部員としても組織の業務をこなし、午後からの野球指導である。愛称は、「遠山の金さん」「遠山親方」「遠山桜」、豪放磊落であるが一方繊細な神経で頑張ってくれている。笑顔が素晴らしい。元一流のプロ野球選手であるが遠山さんは高校球界に身を投じ4年が経った。間違いなく今や「教育者」となっておられ、学校の先生である。夏の大会の初戦は19日、住之江球場で14:10分から「プレーボール」、対戦相手は府立泉尾工業高校だ。私も応援に駆け付ける。