2023年7月22日土曜日

開校100年目の伊勢修養学舎

 昨日の7時50分に学校車を使って伊勢に向かって出発した。運転するのは事務室のKさんで、順調に予定をこなし、先ほど学校に帰着した。2019年から2022年と4年間はコロナで中止あるいは「お伊勢参り」と形を変えて「時を待ち」、今ようやく完全な形での「伊勢修養学舎」が持てた。「感激の極み」である。本校にとってこれだけはやりたい、やらねばならないと念願していた開校100年目に復活出来て「神様も味な事をして下さった」と言う感じだ。通算70回目の伊勢修養学舎は合計4班に分かれて約900人の高校1年生対象に21日から始まり29日まで続く。私は第1班に帯同した。公的身分であるが、私人としても、何とか「禊」だけはやりたかったが、それが実現できた。 



高校校長職を飯田校長にバトンタッチして3年が過ぎ、ぼつぼつ全面的に伊勢修養学舎の遂行権限を全面的に譲っても良いと判断していた。元来はこの伊勢修養学舎は校長の執行に成るもので、少なくとも理事長の業務ではない。しかし現在の修養学舎の形は校長時代の私が全面的に改編し今日に至っている。極めて「思い入れが深い」のである。今から10年前の2013年、本校90周年時に私は力を込めて「伊勢修養学舎60年史」を編纂した。総力を挙げてまとめたこの周年誌は本校の宝物になった。あれから10年、2023年の今年は伊勢は70年目であり、学校は開校して100年目となった。私は今年こそ、この伊勢修養学舎の開講式に出て100年目の生徒に「温故知新」を伝えねばならないと決心し、老骨に鞭打って伊勢に向かったのである。 


しかし不思議な事に私は伊勢に来ると何かパワーが身体にみなぎり、あの禊は何と言えない心地良さを私に与えてくれた。これなら五十鈴川の流れに身をゆだねても流されることはなく、まだまだ「平均年齢16歳の高校1年生に混じっても負けてはいない」と確信が持てた。極めて嬉しい発見であった。加齢に伴う体力の衰えに弱気になる必要はないと悟った。今年で伊勢も卒業と内心考えていたが、この考えを改め、来年も来ますと内宮の天照大御神様に私は誓ったのである。それに人間、生きておれば何かと「穢れ」が身に付くものだ。元来「お祓い」とはその穢れを取り去って清浄になるための具体的な行動が必要である。その清浄の究極は神様から頂いた本来の自分に立ち帰ることで、即ち神の御心と自分自身が一体になる機会が1年に例え一瞬でも1回くらい有っても良い。それが私にとっての伊勢修養学舎なのである。 



「大祓の詞」を生徒と共に奉唱し、禊の事前お稽古を生徒と真剣に行い、本番の禊を実行し、清浄な心と身で内宮の境内を歩き、内宮の拝殿前に打ち並んで「22拍手1拝」で「柏手」を打つと身体全体の「けがれ」が消え去り、人間として豊かな心を取り戻せ、身体が軽くなってきた。本校にとってこの「建学の精神を体現できる伊勢修養学舎」は今後とも最重要な学校行事として歴史に刻んでいかねばならない。「一生懸命に今を生きる」ことが神社神道精神を根本に持つ本校教育の真髄であり、これらは23日の伊勢修養学舎に全てが詰まっている。