2023年8月21日月曜日

大阪府神社庁 定期刊行物「あしかひ」(葦黴)

 「あしかひ」という雑誌がある。大阪府神社庁の年2回の定期刊行物のタイトルである。今期は123号で先の本校開校100周年特集として表紙を飾り、4頁もの長さで編集して頂き、過日30部も送付して頂いた。第一号は昭和31年の秋で、当時の庁長である大阪天満宮の寺井種長庁長が巻頭言を書いておられる。尚、種長庁長は現在本校の名誉理事長である寺井種伯氏のご尊父であらせられる。「あしかひ」は古事記にも出て来る言葉で「アシ」は「葦」、かひは「カビ」を言い表した言葉で「黴」と同源である。醗酵するもの、芽吹くものを意味し、冊子は「あしかひ」と名付け、「葦の芽」のことになる。神道にとって葦は極めて良い言葉で、葦の芽に象徴される万物の生命力を表現し、「豊葦原瑞穂国」とは日本国の美称である。神意によって稲が豊かに実り、栄える国の意であり、この中にも葦が入っているように豊かな葦原、そこに稲がたわわに実る国が日本という国である。 


本冊子の表紙には初代、2代目、そして現在の3代目の学院神社の写真が使われており、神社界の人々の今日の本校の現状に対して、大きな安堵とお喜びが私に伝わってくる。今から100年前、本校は大阪府神社界の手で創立された。100年の間には喜びも苦しみもあり、まさに苦節100年というに相応しい。しかし大阪府神社界は常に温かい手を差し伸べて下さり、我々の今がある。今になっても毎年補助金を出して下さっており、これは「ふくろう奨学金」として生徒の為に有効に使わせて頂いているところだ。私は心の底から学院神社の大神様と大阪府神社界に感謝しており、今回、このあしかひの編集部門から理事長の一文を求められ心を込めて寄稿した一文が下記のものである。



学校法人浪速学院 理事長・学院長 木村 智彦

本学院は大正12年(1923)430日に南海高野線の我孫子前駅と沢ノ町駅の中間西側の元工場の建屋を「東成郡墨江村仮校舎」と銘打って入学生204人で出発しました。本校60年史(昭和58年)の中に大阪府知事であった岸昌氏の挨拶文として次の文章が残っており、「(前略)貴校は大正12年大阪府下の神職団体である大阪国学院が浪速中学校を創設したのが始まりであります。(中略)当時大阪国学院の総裁には大阪府知事が、また院長には大阪府内務部長が就任するなど準公立的な一面を持っておりまして他の私学とは趣きを異にする独特の歴史をもつ学校であるといえましょう。(後略)」と記されていることから、本校が大阪府下の神職の方々の強い思いが込められて創設されたことが伝えられています。 

以来、戦争や台風の影響、生徒数の減少により学校存続が危ぶまれる時代もありましたが、創業の原点である「神社神道の精神」を大道として「敬神崇祖」「浄明正直」の校訓を礎とし、日本人としての歴史と伝統を重んじ、自主的、創造的人格を形成し、次世代に資する人材の育成に教職員一致協力して、常に「生徒第一」を心掛け、謙虚さを忘れることなく精進して参りました。 

このように今大阪府下の私立学校として教育という営為を行う社会の公的機関の一翼を担わせて頂き、責任を果たせていることは学院神社の大神様、八百万の神々のご加護と一重に皆様のご支援ご指導のお陰によるものと心より感謝申し上げます。