わが人生で初めての長い休暇だった。4月30日のアラウンドで筆をおき、以後一切学校とは無縁の状態にし、大阪を離れた。15日間の長期休暇となった。何ゆえか「罪悪感的な気持ち」は全くなかった。昔は3日も連続して休めば「皆に申し訳ない」みたいな気持ちがあったが、それが無いのだ。理由は明らかで学校は極めて良い状態にあり、自分も「やったな」という思いがあり、「この辺で暫く学校と離れてみるか」と思ったのだ。管理職や分掌の部長さんたち、全教職員が全員頑張ってくれているからトップがべったりといなくても良いと考えたのである。
「忙中閑」という言葉があるが「暇になったから何処かへ出かけようか」というモノではない。やるべきことは山ほどあるが、ぼつぼつ若い人たちに任せていくという行為も人材育成の為には必要だ。15日間、学校から報告や連絡は全く無かった。常務理事や理事である高校、中学の校長を中心として「理事長に心配かけるような事は皆無に!」頑張ってくれたに違いない。このようにして世代替わりは進んでいくのだろう。
17年間の本校勤務で1回もスキップすることの無かった月度一回の「一斉参拝」を初めて欠席することになった。これだけは気にしていた。常務理事に代行するように言っていたのだが、これが結局「ビデオメッセージ」になった。参拝は常務理事と両校長の先導で行われ、「学院長講和」は前撮りしたビデオとなった。生徒も初めて理事長・学院長の顔を生で見ることはなかったが案外と集中して聞いてくれていたと今朝ほど報告を受けた。
今朝、人気のない神社前を歩き、私は一人で学院神社に参拝した。この間のご加護を感謝申し上げた。その後、中学校棟建設現場を視察したが、周辺は大変良く整理されており、これだけで私は南海辰村建設さんの素晴らしいお仕事振りが分かる。
その後留守を守ってくれた管理職を部屋に呼び、留守番のお礼を述べた。そして管理職の次は管理補佐職を呼び入れ、お土産をお渡しした。物はそれぞれ異なる。同じものというわけにはいかない。これが木村流である。留守中の責任の重さが根本的に異なるからだ。長い休暇で私自身は少し身体が生ってきたのを感じており、ぼつぼつと始動してまいる。しかし仕事の仕方は少し変えて行こうと思う。重要な学校行事は先送りしてくれており、さっそく来週の20日は学校法人の役員、全教職員、総勢200人を超える歓送迎会と慰労会をかねた大パーティがある。4月任用された新人の教職員のお顔を見ながらお話しできると思えば嬉しい。本校の20代、30代、40代の若い教職員は本校の宝物である。大きく素直に育って欲しいと思う。これが私の最後の大仕事だ。