開校101周年目の令和6年も25日で終わる。この日が公式な「本校の仕事納めの日」であるが、一足先に私は今日で今年の区切りとしたい。プライベートな事は別として学校は本当に良い年であった。ご関係の皆様や教職員のお陰でこのように「良い状態のまま」、今年を送ることが出来そうなのは神様のご神威とご加護のお陰である。私はこの事を断じたい。初めての事だったが、学校設置者たる理事長の意を受け、学校を引っ張ってくれた校内理事であるM常務理事・副学院長、I理事・高校校長、N理事・中学校長の3人に声をかけ、「祈願の碑」の前で記念写真を撮った。少し面はゆい感じもあったが、良い写真になったと思う。3人とも私が見込んだだけのことは有る、超優秀で人柄が良い「出来る男」だ。
本校の精神的基軸となる言葉は「祈願」である。言葉は「祈り」「祈念」「お願い」等々、何でも良いが、志しを立て(立志)、艱難辛苦を乗り越え、「努力することが人間のエネルギー」である。そして目標が達成された時は「生かされている幸せ」「仕事の有る幸せ」そして「報恩感謝」の心である。その起点は「謙虚」な気持ちで、神仏への祈願、祈りではないか。「願いは必ず叶う」と信じて努力を「継続」する事により願いは成就する。諦めず「継続こそ力」と信じて頑張ることが出来る原点は祈願だと思う。私はこの学校で毎朝、学院神社の大神様に感謝し祈願して20年が過ぎた。
一昨年の令和4年5月、再開なった中学校の修学旅行で私は近代日本の原動力となった山口県萩市に行き、そこで旧萩藩のお城近くの工房「城山窯」において「身体が身震いする」作品と出会った。陶芸家「金子信彦」先生の渾身の作品である。その時の感覚は今でも覚えている。是非ともこの作品を入手し「開校100年を迎える本学院が神社神道を根本義に持つ学校として「100周年の記念」の「祈願の碑」を建立する事を決心した。場所はあちこち見て回ったがやはり生徒が毎日目に触れる場所、月度一回の一斉参拝時に向かい合う場所として神社前「御垣外」の一角に設置することを決めた。
建立の日は100周年当日の令和5年4月30日の開校100周年奉祝祭当日であった。その碑は学院神社を背にして毎日毎日ご来校される皆様や教職員、生徒の眼前に向き合っている。あれから1年と8カ月、「祈願の碑はますます輝いてその存在感を増している」ような気がしている。開校100周年の記念事業として宣言した「新中学校棟の建設」であるが極めて極めて順調に建設が進んでいる。設計打ち合わせは最後の確認として外構に移っている。過日打合せがあり当初よりグレードを上げ東館、中央館、NS館、そして中学校棟(名称は現在考慮中)と繋がり一体化された本校の校舎は過去例を見ない豪華で「古事記物語」に彩られたICT校舎群となるだろう。この校舎群の精神的中軸は「祈願、謙虚と努力」だ。とにかく、施主側、設計陣、工事部門の関係者のお人柄と3者の呼吸が「ぴったり」だから、仕事の中身が良いのは当然の成り行きで、本当に素晴らしいと思う。「祈願の碑」が何時も新中学校棟を見つめてくれている。