2025年10月11日土曜日

浪速中学校令和8年度入試の模擬試験 第1回プレテストの日

 遂に来年度中学入試の重要な局面である「第1回目の浪速中学校プレテスト」の当日、10月11日だ。昨年度は12日だったが毎日毎日、次から次と案件が出てくるから、もう昨年の事は記憶には無い。同時並行で今日は第5回目の中学校長の主宰の入試説明会もあった。その昔は土曜日の午後14時始まりであったが「働き方改革の推進」「3Sの導入」等で数年前から午前中に変更出来た。とにかく「3S」が大きな効果を発揮し、順調にスタートしたので今後の入試関係は全て午前中に行える。これは受験生と保護者にも、学校の教職員にとっても良い話だ。 




私立学校はとにかくこれから来年3月末までの土曜日は小緊張が継続する場面が毎週、毎週続く。私立学校の宿命とも言えるが、逃げる訳に行かず、堂々と受け止めて誠実にやるしかない。午前8時のキックオフミーティングに参加したが、私は敢えて一言も発しなかった。校長以下現場が良くやってくれている。お題目みたいに同じような事を上から目線で今や言う必要も無くなった。最もまだ本番の入試ではなく、1月の本番入試前の「模擬試験」みたいなものだが、浪速中学校に関心があればこそ参加してくれるのであり、実質的には本番みたいなものだ。この参加者数で大体の最終的数値が読める。まだ幼い小学校6年生が受験生であり、対応には笑顔で、優しく、慎重に、大切に、していかねばならない。 


受験生を迎える神社前広場の西方面には竣功なった6階建ての新校舎には秋晴れの空天から温かい陽ざしが差しており、登校してくる受験生に降り注いでいる。中学受験の受け入れる側の心配事は「欠席率」であり、高校に比べその数値は幾分高い。これはやはり小学校6年生であるから、当日の健康状態、小学校の行事など変動要因が多いからだが、今日の欠席率は昨年度より大幅に改善されており、近年では最も多い参加者であった。昨年を大きく上回っているのが嬉しい。新記録の入学者数が期待できそうだ。 

旧制浪速中学の創立から通算して来年は103年目となり、浪速中学校単独の新校舎の竣功から2年目の受験である。今朝の参加者確定数値を見て、まずは大きな安堵を得た。今後のテーマは第2回目のプレテストの参加者の数である。これには1回目を受験した生徒もダブルで来るから「如何に新規の受験生を取り込むか」であり、今後入試広報部の視点はそこになる。1回目を他の私立中学で受験したが2回目の浪速中学の方が自分に合っている、良さそうと感じて貰えるように努力しなければならない。 

とにかく義務教育ではない私立中学受験は変動要因が多く、複雑であるが「チャレンジング」であることは間違いない。中学を併設している私立高校に「中学があって良かった!」と思って貰えるようにと中学校関係者は張り切っている。高校授業料無償化の波は私立中学にも影響を与え、そのうちに「私立中学ブームが到来」すると思う。中学も高校も公立、私立の垣根が無くなり、制限なしに行きたい学校へ選択できるようになるだろう。専願か併願などと言っている時代ではなくなる。全てが専願の時代になるのか?

2025年10月9日木曜日

京都大学 北川進先生 ノーベル化学賞への系譜

 「京都大学の北川進先生がノーベル化学賞を受賞」される。先の坂口志文先生の生理学・医学賞に続いての栄誉を日本人が、それも関西人が受賞される。昨日テレビで町ゆく若い女性がインタビューで「めっちゃ関西の時代やぁん」と喜んでコメントしていたが、関西大阪万博の大成功、お二人の先生のノーベル賞受賞、それに奈良の女、高市早苗さんの自民党総裁就任など確かに「関西時代の到来」だ。今朝入試広報部教頭のK先生が入ってきて暫しこのノーベル賞の話しになったがK先生は「阪大、そして京大」と来ましたねと言っていた。彼は大阪教育大卒のエリート教育専門家である。先生は間違ってもノーベル賞には恐らく縁は無いと思うが将来ノーベル賞を受賞するかも知れない本校生徒を集めまくっている。これも偉大な仕事だ。それにしても私は2019年の修学旅行でスエーデンに生徒を引率し、ノーベル賞の会場となった場所に立った事を思い出し、感慨にふけった。 




各紙を前回と同じように舐めるように読んだが、何処の新聞も北川先生の「良いお顔」をトップ記事に載せていた。素晴らしい業績を艱難辛苦で得た人のお顔はまさにこのような柔和で品格のあるお顔になるのだと確信した。私は読売が報じている「京大化学の系譜」との言葉に目が留まった。「そうか!確かに発明者発見者の頭脳と鍛えられた精神力が最初に来るがその背景にはその職場、研究所などの土壌、風土、師から弟子へ、教え子たち、仲間」等々「系譜」という言葉に代表されるDNAが有るのだと思った。日常生活ではあまり耳にしない言葉であるが、このような立派な業績は単に家系や血縁関係だけでなく、芸術や学問の流派、思想のつながり、様々な「つながり」が成果を生む事を表現する言葉の一つが系譜なんだと私は大いに頷いた。 

北川先生は1981年ノーベル化学賞を受賞された福井謙一先生の系譜に繋がり、2019年同じく化学賞を受賞された吉野彰先生の同門である。これを系譜と読売は喝破して記事の大きな見出しにした。そういえば2002年、田中耕一先生が化学賞を受賞されたが、先生は京大ではなくて東北大だったと思うが、勤務先は京都の島津製作所であった。「京都と言う土地柄」は他と少し違うのかとも思ってしまう。東大から一向にノーベル賞が出ないし、日本では京都が圧倒的に多い。坂口先生、今の在籍は阪大だが、元は京大で長く研究されている。「京都って何か面白い」、何故だろうか? 

話しを元に戻そう。この土曜日11日に浪速中学校の来年度入試のプレテスト参加希望者が昨年を大幅に超えた。この参加者数は極めて重要な数値で来年度の入学者数の予想が出来るくらいである。昨年度の入学者数は168人と新記録であり、来年度はこれを超えそうな勢いであるが、我々は5クラスで最大175人で抑えたい気持ちが高い。ようやく浪速中学も本格的な「選別の時代」に入った気がする。受験総数から実際の入学者数の比率が現在の高止まりから、徐々に下がって来るだろう。要は容易に入学は出来ない私立中学への変貌変換点になるかも知れない。浪速中学、浪速高校、6年間の一貫教育で大学は「京都で学ばせる」のだ?。この中から将来ノーベル賞受賞者が出るかも知れない。さすれば冒頭のK教頭先生も喜ばれるのでないか?我々の仕事の醍醐味はこう言う事である。



2025年10月8日水曜日

軟式野球場が完成!その他、工事が順調に

 昨日の7日は中間試験の最終日で、生徒もクラブ員も「ほっと」した時を狙って本校地の野球場の衣替えと言うか、装備の更新と新たなる装置を設置し、「高校の軟式野球部と中学校野球部にプレゼント」した。先にはグランドの芝生張りも新製品を採用し、一新しているので、これで野球場は一応全てが完成した。本校にはここから車で約40分程度の堺市に本格的な「ふくろうベースボールスタジアム」がありここは硬式野球部のホーム球場であるが今までもここで軟式の練習をするように言ってはいたがはやり自分たちの本拠地を持ちたいとの思いは当然でありこの度その夢を叶えて上げたのである。 




「浪速高校軟式野球部は強いクラブ」でいわゆる府内の強豪校と言われている。最近では優勝経験もあるし何時も戦績は上位である。部員は勉強も出来るしまさに文武両立のクラブと言える。従って他府県や府内の他校のチームと良くこの地で練習試合をしている。今回は「ピッチャーズマウンドの更新とスコアボード板、それにBSO板」をバックネット裏に設置した。何処からも良く見え、野球場らしい雰囲気が出て来た。我が意を得たりである。費用について言えば、マウンドは移動式でアメリカからの直輸入品で700万円程度もかかったが、今までの物は16年間使ったので丁度更新するべき時期だった。私は始球式に臨み良い球を投げたと思う。




その他の装置を含めると約1000万円もかかったが、これで生徒が目標に向かって努力するのであれば惜しくはない。今は大きな物件の建設工事もなく私は今まで我慢してきた物件と先行きの対応で必要なものを作っている。お金は天下の回りもの、余裕ある時に実行する。銀行の口座に貯めておくだけでは学校や生徒は変わらない。「学校経営とは常に教育環境と生徒を変えるためにある」というのが私の信条である。変える事は進化であり、人間が変わっていく。女子更衣室増強、中央館裏側の雨天対策の屋根工事なども順調に進んでいる。日々「建設工事の槌音の絶え間ない学校こそ生きのびる学校」であり良い学校であると言える。私は本校の理事長であると同時に浪速学院建設工事会社の社長も兼ねているのだ。生徒はハチャメチャ喜んでくれた。このように生徒には自校に誇りを持ってもらう事が大切だ。





2025年10月7日火曜日

坂口志文(シモン)先生、ノーベル生理学・医学賞!

 「シモン」という名前は、古代ユダヤに由来し、多くの欧米の人々がこの名前を有している。この言葉には「聞く、耳を傾ける」という意味を持ち、歴史的にも多くの著名な人物に名が連なっている。例えば、イエスの十字架を担ったキレネのシモンや、イエスの弟子の熱心党のシモンなど、聖書に登場する重要な人物がいると知った。また、シモンという名前は、スポーツ選手や芸術家など、さまざまな分野で活躍する著名な人々にも与えられているらしい。阪大特任教授の「坂口志文先生が2025年のノーベル生理学・医学賞」を授与される。この朗報に私は今、心の中にあった「世俗のもやもや」みたいなものが霧散してくような感じにとらわれている。間違いなく快感である。 

日本の誇りであり日本人の素晴らしさを今更ながら感じている。各紙当然だが一面右側のトップ記事で報道している。今朝は殊の外時間をかけて各紙を時間をかけて目を通した。どの新聞社も良いお顔のお写真を掲載していたが、まさに「飾り気のない実直な研究者のお顔」そのものであったと感じた。本当に「良いお顔」をされている。「免疫機能」の言葉は聞きかじりで知ってはいても「制御性T細胞発見」となるとチンプンカンプンだが記事を読み進めて行くとこの研究成果の凄さが分かってきた。坂口先生のお人柄についても各紙は掘り下げて記事にしていたが、私は先生自ら述べられている「運・鈍・勘」や「一つ一つ」という字句にも惹かれたが、「哲学的思索」という字句にはいささか驚いた。理系に哲学だと? 


基礎研究の息の長さに耐え、他からの批判に忍び、自ら信じる道を40年間かけて地道に追いかけ、世界の病理学のあらゆる賞を総なめにして今回のノーベル賞に到達された。「哲学的思考で医学研究」「辛抱結実」「否定されても自説を信じ」「鈍感さ武器」「評価気にせず異端研究」「研究のしつこさ」「本質的な答えを求め」「私たちは正しい」「実験繰り返し」「10年見向きもされず、考え抜いた」「謎の細胞、信念貫き証明」「妻と二人三脚」等々の言葉に私は心を奪われる。この研究により難病とされているがん、糖尿病、リューマチ等々への治療への道が開かれるともあった。 

日本は今政治も混迷、経済も混乱、女性初の総理大臣誕生の話しの中で「株価」は触れば熱いくらいの沸騰状態にあるが、総じてこれらは「浮世の世俗の中の話し」で、ほとんどの人々がこの中でうごめき、騒いでいるがこれも又人間社会の実態である。否定はできない。しかしこのような中で人知れずこのような自然科学の基礎研究分野で闘って来られ、結果として卓越した坂口志文先生のような方が「世に表立って出て来られた」ということが素晴らしい事だと思う。ノーベル賞は本当に人間社会にとって、「時に賞賛であり、時に警告にもなる素晴らしい賞」ではないかと思う。 

「先生の父君も兄上も高校の教師」であった。子供時代は本当に本を読むのが大好きな子供だったとある。私は理系の研究者にとってこのような文系への造詣が研究のエネルギーになったと思う。お名前の志文シモンは聞く、耳を傾けるという意味があると冒頭書いたが、俗の典型的人間である私にも今回の先生に関わるお話は大変勉強になった。本校の若者にも大きな影響を与えると思うし、偶々であるが今学校と言う社会の公的機関に関係している身だけに今回の先生の栄誉は有難く、心より感謝とお祝いを申し上げたいと思う。

2025年10月6日月曜日

浪速祭打ち上げ会,大トリ「人生将棋」

 「人生将棋」という歌がある。故美空ひばりさんのシングルで、1970710日に日本コロムビアから発売された。今から55年も前だ。この楽曲はA面で、紅組の司会と大トリを務めた第21NHK紅白歌合戦で歌唱された。私はかすかに覚えている。作詞は名コンビの石本美由起さんである。まず歌曲は何といっても「詩」であり、その詩に相応しいメロディーが付く。だから作詞作曲と言い、作曲作詞とは言わない。言葉好きの私もまず心に響く詩をまず感じ、そして覚えるようにしている。この曲も昔は良く歌った。昨夜は9月20日に行われた「浪速祭」のPTA打ち上げ会が市内のホテルであって学校の幹部教職員も参加した。例年の事だが今年の私の大トリの歌は色々考えたがこの曲にした。今でも人生応援歌として心に突き刺さる歌詞だ。

 

歌詞は珍しく4番まであり:

・指であやつる 将棋の駒も  一手違いで 負けになる

油断すまいぞ この世の中は 辛い勝負の 辛い勝負の くり返し 

・意地をひと筋 貫くときは  なにも恐れぬ 王手飛車

敵にぐるりと 囲まれようと ここで死ぬほど ここで死ぬほど 野暮じゃない 

・角をとられりゃ 金 銀 桂馬  俺の力は 落ちはせぬ

どんな苦労も みなはね返し  いまに先手を いまに先手を とってやる 

・どんな時でも 弱気になるな  強気強気で 押して行け

出世駒だよ 人生将棋   勝って明日へ 勝って明日へ 進むのさ 



会はPTAの有志さんのアトラクションもあり、後1週間で閉幕する大阪万博の「みゃくみゃく」グッズも登場し、最後は結構豪華な「くじ引き」抽選もありで盛り上がった。私が引いた1番のくじは男性役員さんに当たり1万円の高島屋商品券となった。2位は5000円の米券だから時代背景も色濃い。冒頭の私の挨拶は丁度この日、自民党総裁に選出された高市早苗さんを例に出し、今や日本最初の女性総理大臣誕生の可能性が高まり、遂に政治の世界でもガラスの天井が打ち破られたから、本校でも女性PTA会長さんの誕生が近いのではないかと幾分前傾姿勢で言及した。 




今社会ではPTA不要論とか組織解体とかの話しが出ているが、少子高齢化の中で生き延びていく私立学校として益々保護者(P)と学校即ち先生(T)との情報共有と協力を元に教育の中味がどんどん変わって行く可能性がある。まず文部科学省が「学校裁量の拡大」を言い始めているだけに今後ともPTAは重要である。保護者のご理解とご支援がない私立ではやってはいけない。PTAの学校への貢献や懇親は結果でありその前提として教育の中味なども議論を深めていくような「懐の深い学校」こそが生き延びていくと思うだけに私はPTAを今後とも大切に致したいと思う。私は素晴らしい人間性を持ち、求心力があり、本校を愛してやまないPTA会長さんと乾杯してこのことを固く誓ったのである。



2025年10月4日土曜日

さすがに「山崎製パン」(株)は素晴らしい会社だった!

 本校中央館6階の天空レストラン(通称6R)の新装なった「焼き立てパンショップ・ブル」にパン生地を納入してくれている山崎製パン(株)の松原工場の幹部とご担当の方に学校に来て頂き、「今後の本校の方針と協力をお願い」し、会談はそれは、それは見事に進み、まるで業務提携の話しかと思わんばかりの素晴らしい面談だった。本校のような「見事な展開をスピーディに進める学校さんは初めてです!」とお褒めの言葉を頂いた。その意味だったのかどうか、お土産に「なんと山のような特別な調理パン」を頂いた。これはスーパーにおろしていない直営店のみの販売品だと言われた。その数に驚いた私はこの会社の「懐の深さ」に驚き、今後パートナーとしてのお付き合いにしていきたいと申し述べ受け止めて頂いた。「千人力、万人力」を得た感じがした。 


スーパーで見かけ、運搬車が良く街中を走っている山崎製パン株式会社は、東京都千代田区岩本町に本社を置く日本の製パン企業で、製パン業界で日本国内最大の会社である。フジパングループ本社、敷島製パンとともに製パン大手3社を構成するが、世界ではメキシコに本拠を置き北米・南米に展開するグルーポ・ビンボに次ぎ世界第2位の規模である。1948年、飯島藤十郎氏が千葉県船橋市で「山崎製パン所」を開設したのが始まりで、配給小麦の製パン加工委託をコッペパンから始めた。菓子パンなどにも拡大し、食糧管理制度下で製パン業が厳しく統制された時代から今日に至るまで、創業者の飯島藤十郎氏の系統で事業は継続された。この間法的規制で飯島の名が使えず、妹の嫁ぎ先の姓である「山崎」名義で許可が漸く下りた。商号が「山崎製パン」となったのはこの経緯によるとある。 

それにしても山崎製パンのご協力が無ければわずか9月1日のオープンから1カ月間で我々のショップは成り立って来なかったことは間違いない。生地を間断なく納入して頂いた。私を含め関係者は深く感謝している。矢張り「大手は違う」ことを痛感した。人材が揃い心意気が凄い。加えて「浪速教育振興(株)(NEP)」が結んだ雇用契約のパン作り人材が大成功だった。これは学院神社の大神様のご加護である。全て女性であり、S店長代理、調理担当としてM,H、Hさん、そしてPTAからのご奉仕として販売担当の2名の6人でここまで頑張ってくれた。お人柄、能力、経験、持ち場持ち場で責任感溢れる仕事ぶりが大成功に結び付いたと思う。 




オープン当日のあの生徒の殺到、20日の浪速祭では3000個がわずか90分で完売となり、24日には理事・評議員にご試食して頂き後日味の評価の電話があまたあった。そして付け加えないと行けないのは事務局として事務室のYさんと入試広報部のMさんの二人が現場のやりやすいように「獅子奮迅の働き」をしてくれた事だ。理事長の私もこの二人ともパン製造には全くの「ずぶの素人」であるが、学習し調査し、人の話をよく聞いて勉強してくれた。特に現場のS店長代理とNEP事務局長のYさんの二人は「阿吽の呼吸とリーダーシップ」で成果をもたらした特筆すべき立役者だと思う。 


現場の方々と言い、この本校職員の2名と言い、仕事はやはり「組織力・チームワーク力」で結果が出るものだと改めて思い知らされた。さて次のテーマはサイン・コサインカーブで動く学校の宿命である「繁忙期と休閑期」の内、休閑期の間に入れる「焼き立てパンの外販事業」の展開だ。目玉は「浪速学院神恩 食パン」(仮称)の販売と美味は当然として幾分ゴージャスな特別外販用「調理パン」の製造である。11月初旬には表通りに面した北辰門辺りに販売用のワゴン車が並ぶだろう。その光景を想像している。楽しみである。

2025年10月3日金曜日

歌声の聞こえる学校は良い学校!

 少し遡るが9月19日秋季例祭の日は中学校の「第13回目となる合唱コンクール」の日であった。もう13年も経ったかと感慨深い。当時、中学校校長兼務だった私が「歌声が聞こえる学校は良い学校」との信念で始めたもので、元々は浪速祭のプログラムの中に入っていたものだが、総合的に検討して昨年は浪速祭が終わった後にやるようにし、今年は秋季例祭の日に変えた。中学校サイドのベストのタイミングを検討し続けている。中学全学年共通の行事であり、保護者ご招待で課題曲と自由曲の2曲でのクラス対抗の形であるから、いやがおうにも盛り上がる。今や浪速中学の名物行事となった感がする。

 

浪速中学校は「今、注目の中学校」となりつつあり、「新校舎の建設」も今年の3月には竣功した。歌うと「幸せホルモン」が分泌されると物の本にあったが、副交感神経が優位になるだけではなく、セロトニンやドーパミン、エンドルフィンといった「幸せホルモン」が分泌されるらしい。これらのホルモンは精神安定の効果があり、幸福感や満足感を感じやすくなると言われており、絶対的に歌うことは体に良いとある。私もそのように思う。生徒皆が仲良く、いじめなどの無い学校になったのはこの合唱コンクールの成果の一つかも知れない。 


とにかく子どもも大人も心と身体の健康には「うた」がいい。指揮もピアノも生徒が主体で、最後には山本教頭の指揮で「教員合唱」があった。これがこのコンクールの伝統で生徒は大喜びであった。さすが先生方でろくに練習時間も無かったと思うが見事なハーモニーを醸し出していた。良い合唱コンクールだった。一言で言えば「品格の高い合唱コンクール」であった。この品と言うことを大切にしている私は殊の外嬉しい。この主担当である音楽科のW教諭は何時もながら「カチッ」とした「生徒指導と物事の運び能力」であり、この先生の「手腕」が大きく成果に結びついていると何時もながら思う。教科指導のみならず、円滑な学校行事の遂行にかかせない先生である。 


音楽教育は、子どもたちの感性や創造力、社会性、学業成績を向上させるために不可欠であり、その重要性は感性と創造力の育成に繋がり、音楽を通じて自分の感情を表現し、他人の感情を理解する能力が養われると言う。その結果、①社会性の向上②学業成績の向上③文化理解の促進④自己表現とストレス軽減等々学術的にも証明されている。私はあらゆるジャンルの歌が好きであるが、特に「演歌」を主体に自分で声を出して歌うことで精神的安定を保っているのかも知れない。

令和8年度入試の中学校入試のプレテスト申し込み数が伸びてきている。昨年度は168人と言う新記録の入学者数となったが、現時点で昨年を超える勢いになっている。受験生には浪速中学の生徒になったら「合唱コンクール」が待っていると伝えたいと思う。「楽しい学校だぞ!」。