学校行事としての「修学旅行」の始まりは明治時代に遡る。その実質的な歴史的起源は、1886年(明治19年)2月に東京師範学校(現・筑波大学)が実施した「長途遠足」であり、「修学旅行」という名称も、同校が1886年中に独自に使用しはじめた造語であると物の本にある。修学旅行は、日本の初等教育・中等教育の諸学校(特別支援学校を含む)における学校行事(教育課程)の一つとして、教職員の引率のもとに児童、生徒が集団で見学・研修等をするための宿泊を伴う旅行であるが、これは「学習指導要領」に規定されている特別活動である。実施しなければならない行事である。
遂に浪速高校でもこの修学旅行の出発の日が近づいてきた。明後日の12日から13日に分けて10グループが世界に向けて離陸する。既にフィリッピンの語学研修は昨日無事に出国した。スペイン、フランス、イタリア(2班)、イギリス(2班)、オーストラリア、マレーシア・シンガポール、北海道で総勢900人を超える。この両日は北半球の空を機内で浪速高校の生徒と教員が乗っている。残念ながら今回の私は事情があって昨年と同じく今年も留守居役に回った。
今朝は私の部屋で総合団長の高校2年の学年主任のS先生以下各グループの団長の先生方に対して付き添い教員としての心構えについて話した。一言でいえば「厳しくなら過ぎず、緩め過ぎず!」という事だ。特に責任感の名のもとに生徒の楽しみが台無しになるような𠮟り方は駄目だ。海外故にとにかく「無事に連れていき、無事に帰ってくるように!」とだけ強調した。特に「パスポートの管理」がポイントである。他の盗難などはどうにでもなるが「命とパスポート」だと、私は既に何回も海外を経験している教員だが、敢えて指導した。生徒の修学旅行であり先生方の修学旅行ではない。これは「見守り役、防御役」としての重要な仕事であり、その為に私は特別手当を出している。これは「生徒へのケア代」だと考えて欲しいとも述べた。それくらい「生徒の安全確保」に私は気を使っている。
14時過ぎからは6、7コマ目を使って高2の生徒全員を体育館に集め、私は学院長講話として最後の指導を行った。「生徒には生涯に残る楽しい思い出」にしてやらねばならない。付き添い教員には教員向けの話で、生徒には生徒向けの話となる。まず冒頭私は昭和38年、1963年8月に大ヒットした舟木一夫さんの流行歌「修学旅行」のCDを会場一杯に流して話を始めた。62年前のヒット曲であり、ちょうど私が高校2年生修学旅行に行った時の歌である。まずこれを私は高らかに歌い会場を大いに盛り上げ話を始めた。
二度とかえらぬ 思い出乗せて
クラス友達 肩よせあえば ベルが鳴る 鳴る プラットホーム
ラララ……汽車はゆく 汽車はゆく はるばると はるばると 若いぼくらの 修学旅行
日本が高度経済成長のど真ん中にあり日本全体が元気で力がみなぎっていた時代であった。これを「つかみ」として、次に私は過去の本校での海外修学旅行で実際にあったトラブルについて「生々しく」生徒に伝え、「自分の命と財産」は自分で守れ、それに「パスポートと水」には注意するように繰り返して指導した。そして最後に付き添いの先生方、エージェントのHISさんに「くれぐれも宜しくお願いします」と申し上げて会場を後にしたのである。