今朝9時過ぎに私は「祖霊殿」に参拝した。丁度雨が大降りで音を立てて拝殿前の石畳を打ち付けていた。「雨中の参拝」であったが私はどうしても学院神社と祖霊殿にお詣りしたくなった。「最後の同窓会長であられた東京の湯島天満宮の押見名誉宮司様」が昨日の午後3時にご逝去された。今月の4日に私は東京の文京区にある順天堂大学病院に入院加療中の宮司様をお見舞いに訪れ、親しく歓談して以来、2週間と4日で旅立たれた。悲しくて残念でならない。今朝の雨は母校をこよなく愛された故人の涙だと感じた。100周年記念の祝賀会では最後の纏めのご挨拶の時に「感極まって」言葉に詰まられた記憶がまだ新しい。
様変わりした学校の現状を大変喜ばれ、普通はあり得ない「個人で1000万円のご寄付」をしてくださった。「学校の為に使って欲しい」のお言葉が「ご遺言」であったような気がしてならない。とにかく可愛いがられた私には「偶には神戸牛よりも飛騨牛だ」とか長崎の「ラグビー西瓜」とかを時に贈って頂いた。東京に来るときは新幹線のチケットを送るとまで言われた。それほど学校改革による変貌が嬉しかったのである。過日の病気お見舞い時には奥様からも何時も母校自慢で担当のドクターや看護師さんにも自慢をされておられたと言う。湯島天神さんも本殿はじめ、多くの建物や神社の周辺環境が宮司様の手で完全に生まれ変わっている。「故押見名誉宮司は改革者」であったからこそ、私みたいな者へのシンパシーを持って頂いたのだと思う。有難い限りである。
斯界では大変著名な神道人であり、今後「葬祭」の予定が決まって行くと思うが、私は是非ご参列させて頂き最後のお別れを言いたいと思う。まさに私にとって「巨星おつ」と言う感じで生前のお姿を思い出すと目頭が熱くなる。是非学校の祖霊殿にお祭りし後輩たちを見守って欲しいとご遺族にお願いする積りである。今朝私は奥様とご子息の宮司様にお電話しお悔やみを述べた。長い、長い電話になった。宮司様は神様になられる。霊璽簿にお名前を私の手で記し、未来永劫お祭りすることを決意した。