2025年6月4日水曜日

長嶋茂雄さんが亡くなられた!

 「長嶋茂雄さんが亡くなられた」。おしゃべりで言葉大好き人間の私でも今の心中を語る最適な言葉が見つからない。多くの著名人で長嶋さんと厚誼のあったお人は「一つの時代が終わった」とか言われていたが、私もそのように感じる。幼い頃から長嶋さんのあのプレーを見て、又存在そのものに対して子供心に憧れ元気付けられた。選手時代も監督時代も長嶋さんがテレビに映られた時は「じっと」画面を見つめ、母からそして妻からも「長嶋さんが大好きなのねー!」と良く言われた。そう私は「長嶋茂雄さんが大好き」だった。巨人は嫌いになっても長嶋さんは変わらず大好きだった。この大好きだと言う言葉以外に今語る言葉はないことに気付いた。

 明るく、甲高い声で、しつこくなく、感嘆明瞭な少ない言葉を使い、方法を飛び越して一気に結論と結果を言うスタイルは誰にも真似は出来ない。見てみよ!日本全国つづうらうら、何処に行っても日本人は長嶋さんが大好きだったことが報道で分かる。ミスター、ミスタープロ野球、ミスタージャイアンツ等々長嶋さんを賞賛する言葉は多々あるが、それだけではあるまいと思う。まさに石原裕次郎さん、美空ひばりさん、そして長嶋茂雄さんは戦後日本の希望の星、明かりで「スーパースター」であった。この3人がこの分野でどれくらい時代背景の中で「日本人の精神世界に入り込んでいた」ことか?まさに不世出のスーパースターを超えたお人であった。

 私は時の政府が長嶋さんに「国民栄誉賞」を松井秀喜さんと一緒に褒章した時に強い違和感があった。何で松井さんと一緒なの、合同なの?違うでしょう!確かに松井選手も凄い人だが次元が違うと思う。もっと早く単独で長嶋さんに授与すべき話だったと思う。基本的に政府の役人は内規で縛られ、数値でしか評価できない人々の集まりだと深く思いを深めた。国民に与えた影響を考えればもっと早くお渡しすべきだと私は思った。私がトップだったら絶対にそのようにしていた。 

最後に今や噺家というよりタレントに近い立川志らくさんが「長嶋茂雄と呼び捨て」にして何かのコメントを発し、バッシングされていたがその時に師匠はイチロー、裕次郎などと著名人は呼び捨てにするものだと反論して書いていた。彼も長嶋さんが好きなのである。しかし私は彼の論点は少し違うと思う。私は故人になられた限り神様や仏様になられた直後の事であり、同じ時代を生きてきた方、そして今亡くなられた方については「さん付け」で呼称したいと思う。今朝の各紙で見出しは全てさん付けではないか!あの読売もさん付けだ。

平安時代の源氏物語を書かれた紫式部のことを紫式部さんとは誰も言わない。「雪国」を書いた川端康成をさん付けでは呼称しない。昭和、平成、令和の3世代を「常に目の前の事に一生懸命に生きた長嶋茂雄さん」には亡くなられた丁度今はさん付けの方が気持ちが伝わるのではないか、時代が進み、後世呼び捨てになる時代は来るだろうが、それまではさん付けが良い。それがせめてもの大好きだった故人への尊崇の気持ちだ。長嶋茂雄さんは神様になられた。私は学院神社にお参りし、ご冥福を祈った。

この後、所用があって長嶋さんのご遺体がまだある東京に行かなければならない。業務出張だ。少しでも長嶋さんに近づけると思うと悲しいし嬉しい。