2025年8月21日木曜日

「至誠寮」の大改造・・・個室化へ

 幕末の偉人、「吉田松陰」の言葉に「至誠」と言う言葉がある。私が最も好きな漢字であり響きである。吉田松陰は、幕末と言われる時代が始まって、直ぐに、安政の大獄で亡くなった。享年30歳(満29歳)という若さであったが彼の偉業は今に生きている。松陰先生の「松下村塾」こそ、それであり偉大な教育者であった。この私塾から、幕末に活躍する、 高杉晋作、久坂玄瑞、初代の内閣総理大臣となる伊藤博文、第3代の内閣総理大臣となった山県有朋など明治維新を成し遂げ、そして、日本の近代国家の礎を造った、多くの偉大な人物を生み出した。特に維新の原動力となった坂本龍馬、西郷隆盛、木戸孝允の維新3傑に大きな影響を与えたと言う。 

吉田松陰の人気と実力は、そういった意味では、他の人間とは違って特別な存在であったと思う。松陰先生の言葉、「至誠」は「至誠にして、動かざる者は 未だ之れ有らざるなり」から来ている。意味は「誠の心をもって尽くせば、動かなかった人など今まで誰もいない」と言う意味である。前置きが長くなったが、私は学校の西側の道路に面した場所にあった3階建ての一軒の家が売りに出された時に、間髪を入れず、直ぐに購入を決め、生徒用のクラブ合宿寮とすべく大改造を行い、名前を「至誠寮」と名付けた。恐れ多い事であったが神道の学校として最初の寮の名前はこれにすると決めていた。今でも平成29年5月開寮式において至誠寮の看板を掛けた時の高ぶった気持ちを覚えている。 

その後ここは「(株)浪速教育振興」の本社として位置付け、1階の一部を改造した。しかし寮全体の使用頻度は極めて低く、これでは投資した効果も出て来ず、思案にあぐねていた。これは私の失敗であった。考えてみれば今時の若者は自宅でも個室、大部屋で寝るなどしないのである。偶に2泊程度の合宿なら我慢は出来るがそれ以上はしんどいことなのだと理解した。そしてこの夏、空手道部がインターハイで全国優勝を成し遂げた時、I監督の話しから一大決心をした。即ち大広間を改造して通学不可能な遠方の他府県の生徒で是非本校で学びたいという生徒の為の個室寮に改造することにしたのである。 


空手道部は今年、春夏の連覇を成し遂げてくれた。「男子団体組手は3年ぶりに7回目の優勝」、女子団体組手も準優勝であった。又「浪速中学校は全国空手道選手権大会で4連覇」の偉業を成し遂げた。しかし全国の強豪校は「打倒浪速」を叫びながら多くのポテンシャルの高い生徒を全国から集めていると言う。その為に彼らは既に個室の寮を有していると聞いた私は直ぐに動いた。いずれ本格的なビルでの寮は既に土地も取得し、中長期の建設工程に入っているが、それまで待てないほど実力差が肉薄してきている。私の仕事は本校のチャンピオンクラブである空手道部やテニス部など全国制覇する力のあるクラブの生徒の為に至誠寮を改造する。但し、ここへの入居基準は今後の検討課題になる。