2024年7月22日月曜日

「伊勢へ七度(ななたび)、熊野へ三度(さんど)」

 先週の19日、金曜日に落語家の「4代目桂福團治師匠」と会食する機会があった。9月13日の本校秋季例祭の夕刻に福團治一門による落語会をお願いしており、その詳細な打ち合わせであった。昨年は開校100周年を大々的に祝い、心新たに次の100年、「ネクスト100」を合言葉に元年として令和6年はスタートした。その号砲として84歳になられても今なお、現役で頑張っておられる日本落語会最長老の「人情噺」を得意とされる名人噺家の福團治師匠を私は本校の秋季例祭・浪速祭にご招待申し上げた。師匠は本校OBの直木賞作家である故藤本義一さんと深いご縁があり、この作品「鬼の詩」の映画化の際には主演を務められている。又お住まいは学校から至近の距離でもあるご近所さんで、私は長いご厚誼を頂いている飲み友達でもあり、とにかく謙虚で立派なお方である。 

その席で師匠から「伊勢へ七度(ななたび)、熊野へ三度(さんど)」と言う言葉を教えて頂いた。伊勢神宮へは7回、熊野三社へは3回、お詣りすると言う事だが、これはたびたび参ること、信心の深いこと、また、信心はどんなに深くしても限りはないことの例えだと後で物の本で学んだ。有名な落語の「伊勢参宮神乃賑(いせさんぐうかみのにぎわい)」、通称「東の旅」と言う落語は伊勢参りの道中を描いた上方落語の名作であり、この中に先の言葉は出て来ると福團治師匠はおっしゃっていた。大阪の落語家はこの話から修行に入るとお聞きした。 

私などは神社神道の学校の理事長・学院長としてその前は高校の校長を兼務していたので既に「七度どころか」、100回以上もお伊勢参りを経験して来た。最も生徒の為の「伊勢修養学舎」への帯同だから私の仕事である側面はある。しかし何時も1学期の終業式の翌日から始まる伊勢参拝は「自分の過去1年間の穢れ汚れを落とす」ためと思って、一回も欠かさず今日まで続けてきた。確かに伊勢は違うのである。何かが他の場所とは異なる。「五十鈴川での禊」後は「言いようもないこの身の清浄感」を感じ、伊勢に行くと何やら「ふるさとに身を置く」みたいな「心地良さ」を感じる。 


昨日は「第71回伊勢修養学舎」があり私は第1班に合わせて午前8時に学校を出発した。事務室のKさんの運転する学校車である。高速道路が完備され、順調に車は進み、10時30分には「宇治橋」に到着した。広い境内をただ黙々と歩き、「内宮」に参拝。日曜日と言う事もあり参拝の人々で大いに賑わっていた。翻して「神宮会館」に到着し、本校理事でもある館長さんと暫しの懇談を行い、昼食のご接待を賜った。その後生徒が講堂に打ち揃ったとの連絡を受け「開講式」に臨んだ。そこで理事長としての「開講挨拶」がメインの責任である。この模様はビデオで録画され後に続く2,3,4班に同じものが開講式で映しだされる手筈となっている。

 




その後「高校校長の講話」が続き、その後は生徒全員が4台のバスに分乗し「猿田彦神社」に向かい校長と生徒代表による正式参拝を行った。私はこの「道開きの神さま」について短い講話を行い、「志しを持ち努力と忍耐、感謝の気持ちを持つことで間違いなく君たちの道は必ず切り拓ける」と激励した。宮司様と短い時間だったがご挨拶をし、その後又バスに戻り、今度は「外宮」に参拝した。本当に暑い日であったが生徒は一糸乱れず素晴らしい歩きでご本殿に向かい、「御垣内参拝」を許された校長と生徒代表に合わせて「柏手」を打った。





これで私の役目は終わり、後は校長、副校長、学年主任、神道科教諭に任せて学校車に乗って学校に戻った。時刻は夕刻の17時30分であった。良い時を過ごしたと「幸せな疲労感」を感じ、関係する教職員へのお土産である「伊勢うどん」を車からおろして、自宅に向かったのである。