「大阪護國神社」は市内住之江区にある神社で、大阪府出身ならびに縁故の殉国の英霊10万5千余柱を祀っており、「ご祭神の柱数」は全国の護国神社では沖縄県護国神社、福岡縣護國神社に次いで3番目に多い。現在は神社本庁の「別表」神社である。別表とは長くなるのでここには書かないが要は全ての神社は元来、対等の立ち位置であるが本庁の指定した別表に載せられた神社は「人事面で特別な扱い」が出来る神社である。言わば格が高い神社と理解できる。例えば護国神社の宮司は神社本庁統理の直接任免であるし、就任後は宮内庁に記帳に参るなどがある。
私はこの神社とはご縁が深くてここ三代の宮司様とはご厚誼を頂いている。お宮は住之江公園の南西に鎮座し、新なにわ筋を挟んで住之江競艇場に隣接している。住之江通に面した正面鳥居は大阪府で最大の鳥居である。元宮司の柳澤忠麿氏は日本会議大阪運営委員長、神道政治連盟大阪府本部長を務めるなど人物で、お孫さんは当時校長であった私が入学を許可し、卒業した。2018年(平成30年)3月31日に逝去され、その次の宮司様は義理のご兄弟である日本会議大阪南河内支部長、道明寺天満宮の南坊城充興氏が宮司に就任された。この方は本校理事では最長の経歴を持たれ、私がこの学校に招聘された時以来のお方で言わば私の兄貴分であり盟友でもある。浪速改革のもう一人の立役者であり、良く私をバックアップして下さった。最も親しい神社界の大物である。
南坊城宮司はわずか2年で周辺の大改革を行い宮司職を当時鎌倉の鶴岡八幡宮の神職であった藤江正鎮氏に「スパっと」譲り、見事な世代交代を成し遂げた。藤江宮司は令和3年(2021)4月に就任された。令和4年9月中旬、共同通信やNHKなど8つの報道機関が実施した凶弾に斃れた「安倍晋三元首相の国葬」に関する世論調査・アンケート調査ではいずれも「反対」が「賛成」を上回り国論を二分する社会問題となった時、これを受けて藤江宮司は自由民主党大阪府連などに問い合わせ、府内に弔意を示す場がないことを知り、9月26日、大阪護國神社に献花台を翌日に置くことを通知した。Twitterで寄せられた「いいね」は2万件を超え、同月27日、藤江宮司は産経新聞の取材に応じ、「国葬反対の声ばかりが取り上げられているが、「あれだけ功績があるのに」という憤りがあったと述べている。この事案だけでも藤江宮司の気骨と人間としての幅の広さ、度量の大きさが分かる。
爾来本校は藤江宮司へのご支援もあり距離を大きく縮めた関係になっている。宮司は今日ご来校されこの夏の神社が主催する幼小中高の「絵画コンクール」の出品作品の審査をお願いされており、この企画も初めて5回目になる。宮司のご発案である。又「9月21日の世界平和デー」には本校書道部の部員が神殿や拝殿で揮毫する「奉納書道」をやらせて頂いているなど関係が益々深くなっている。藤江宮司は話していても分かるが極めて頭脳明晰でお二人のご子息はいずれも東京大学に現役合格している。長い関東生活から大阪暮らしに転換し、ようやく慣れて来られた頃と思い、次の学校法人の役員改選では評議員にご就任頂きたいと今準備を進めているところである。