「八軒家浜船着場」には少し早くて夕刻5時には到着した。旧淀川(大川)左岸に設けられた船着場・八軒家浜(はちけんやはま)は2008年に開設された観光用岸壁である。この歴史ある船着き場には大阪天満宮の夏祭りである「天神祭り」に天満宮の宮司様からご招待を受けて乗船できる「供奉船」としての「屋形船」2艘だけが接岸されていた。今回この供奉船に乗る機会を得たのは私とM常務理事の二人であり、私は都合3回目であったが常務は初めてと聞いた。船のおかみがまだ出るまでには1時間もあり、乗って待っていると横揺れで船酔いしますよと言われ、時間調整して乗り込んだ。そして43人の定員一杯を乗せた船は6時の定刻から大分遅れて岸を離れた。
江戸時代には、同地は船宿などが8軒並んでいたことから「八軒家浜」と呼ばれるようになり、この地は京の伏見と大坂を結ぶ「三十石船」と呼ばれるターミナルとなるなど、淀川舟運の要衝として栄え、このころの八軒家浜の様子は多くの文芸・美術作品に描かれている。十返舎一九の「東海道中膝栗毛」には、舟を下りた弥次郎兵衛と北八が「大坂の八軒家」で上陸する場面がある。また摂津名所図会「八軒屋」、浪花百景「八軒屋夕景」で知られており、その風情は今では周辺、ビル群で囲まれていても残存している。私は長く続いた江戸時代と激動の幕末史を彩った天満橋周辺、京と大阪の大動脈であった淀川の終点であるこの当たりの地に大変に心惹かれる。歴史の変遷を強く感じる。
「天神祭」であるが、日本各地の天満宮で催される祭りでる別に大阪だけの祭りではない。ご祭神の菅原道真の命日にちなんだ縁日で、25日前後に行われる。しかし各神社で行われる天神祭の中では、「大阪天満宮を中心として大阪市で行われる天神祭」はご存知のように「日本三大祭の一つ」として特に有名である。昨日の25日の本宮の夜は、大川に多くの船が行き交う「船渡御」が行われ、天満宮と深い繋がりのある学校法人のトップ2名が「開校101年目の船渡御」において供奉船への招待を受けたのだから有難い話だ。「神霊をのせた御鳳輦奉安船」に、お囃子をする船や供奉船などが従い、天神橋のたもとから出航して造幣局や中之島のある大川を遡り、反転して下ったルートである。 ビールや清涼飲料など飲み放題、それにお椀物、幕の内懐石料理、デザートなど宮司様「心づくしのおもてなし」を受けて大川を宮司の乗られている船の後からまさしく供奉して参った。
目玉は夜空を焦がす「奉納花火」であり、3か所から時間を調整しながら3000発の花火を愛でた。
大川に映る篝火や提灯灯り、花火などの華麗な姿より「火と水の祭典」とも呼ばれているが、100艘ものお船が行き交うたびに「打ちましょう」の掛け声で「大阪締め」から手を打つ音が水面に響く様子は「まさに大阪を代表する祭り」だと感じた。陸には行きかう人、人、人で壮観な眺めであったが大川の上も警備艇などが行きかい、出発の八軒屋浜の船着き場には予定を大幅に遅れ9時40分の接岸となった。蒸し暑くて必ずしも快適な船上とは言い難かったが「天神祭りの夏はこのようなもの、夏は暑いもの」だと思い、100万人以上の人々の間を縫って自宅に急いだ。