2023年11月18日土曜日

学校の先生は「ホワイトカラー」?

 今日は18日土曜日、雨の中の「浪速中学校第二回目となるプレテスト」の日であった。新記録となった昨年と同レベルの参加者を得て安堵している。プレは1月の本番入試に先駆けて学校が行う「模擬テスト」みたいなもので受験生には本番並みの緊張感があるから、当然学校側も細心の注意が必要だ。8時からの朝礼に参列したが校長も、教頭も教務進路部長も良い言葉を使って教職員に「注意を飛ばして」いた。男女とも先生方は黒っぽいスーツに男性は白のシャツにネクタイ、女性の先生は白のブラウスで服装に全く隙は無く、完璧で見事であった。まさしく「ホワイトカラーの集団」であった。本校では私の方針であるが「ドレスコード」に厳しい。このような重要な学校行事の場合は尚更である。私立学校として生徒程大切な存在は無い。受験生と保護者に対する深い敬意をまず服装から示すのが浪速である。 



9時からは千早赤阪村に所有している校外学習施設「多聞尚学館」にて高3生の地歴・公民・倫理の受験対策で社会科教員4人の付き添いで生徒が出発した。何時も見送り、激励の言葉を贈るのであるが、ここでもまた先生方の服装を見たが、ホワイトカラーで立派であった。明日までの一泊二日の宿泊学習合宿だから「ラフなスタイル」でもと思うが校外に出掛ける時の生徒と教員の服装は制服で「パシッ」と決まっているのが本校である。遂、先日修学旅行で沖縄に日航で飛んだが、客室乗務員さんから「生徒さんも先生方も颯爽とされており、大変ご立派で、良い学校ですね」とわざわざ私の所に来て言って下さった。生徒や教員が外部の方から褒められるほど嬉しいことは無い。 



「ホワイトカラー」という言葉は今や一般的な言葉となっている。事務職や営業職、弁護士やプログラマーなどの専門職、医師などの研究職などといった、主に知的・専門的な職種に就いている人々を指す用語であり、由来は「白い襟付きのシャツ(White collar)」を着て仕事をするような職種に対して使用される言葉だ。我国では所謂「サラリーマン」と総称される人々の中にホワイトカラーに該当する人が多くいる。対照的な言葉に「ブルーカラー」という言葉があるが、違いは青の襟付きシャツを着て仕事をする人ではなくて、物の生産に直接かかわる製造業、現場作業をする建設業・農林水産業などが該当する。ワイシャツではなく、主に作業服を着て仕事をするような職種に対して使用されている。本校の教職員は殆どがホワイトカラーのシャツを身に付けている。私もカラーシャツや縞入り、ボタンダウンのシャツなどは学校では着ない。白一色だ。 

教師と言う職業は今の分類では間違いなくホワイトカラーであり、「社会的に極めて重要な尊い職業」である。しかしここで強調しておきたいのは教師と言う職業についている人間個人が尊いのではなくて、就いている職業が尊いのであって、ここを誤解する先生がいるとすれば、最早その人は先生ではあるまい。古来「藩校」と言われる学校の教授や師範、教導、町の「寺子屋」の訓導やお師匠様と言われていた時代から先生は社会的に尊敬されていた。一方「職業に貴賎なし」という言葉は江戸時代頃から生まれたように比較的新しい諺であるが、この言葉の背景は社会の進展につれて多くの職業が生まれて来て、そこに「職業による社会的地位の格差が生じ」、どんな仕事しているかによって人を差別・値踏みすべきではないといった趣旨で用いられる言い回しである。職業に格差などなく、職種に関わらず労働はすべて貴い営みであるが「人にものごとを教える」という行為に従事する学校の先生は「職業に貴賎なし」の概念を超越した職業だと私は思う。尊敬を受ける職業と言うより、「尊厳ある職業」と言った方が良いかも知れない。その「矜持」を持って欲しいと思う。まず姿形から入る事だ。さすれば自ずと「身を律する」ことに繋がる筈で、教師のシャツはまず「ホワイトカラーで決めよ!」。