前回22日のアラウンド「厳父慈母たるゴッドファーザーみたいに」に関連して今日は私の仕事のやり方である「諮問、答申、傾聴、決断」のサイクルについて少し思うところを記してみたい。「諮問」とは校内の有力な人物などに対して「理事長から学校改革の特定のテーマを上げてそれに対して意見を纏め、報告せよ」の事である。この諮問を受けてそのグループや個人は「理事長の問いかけ」に対して答えること、意見を述べることが「答申」である。正直、一昔は「何でも一人で決めていた」ことは事実であるが、学校が進化し、テーマも複層的になって私だけの考えで執行するには私自身が慎重になってきている背景がある。
私に最も近い傍で私を補佐し、見続けてきたM常務理事は過去16年間の「理事長が打ち出し、導入した政策が100%全て当たり、現在の浪速がある」と良く言ってくれるが、同時に理事長が現在次世代の核となる人物の養成に躍起となっていることも知っている。超絶したワンマン?が全てを仕切るのは課題解決に極めて迅速な方法であるが、それでは人は育たない。又局面が複雑になってきている中で一人の人物の政策決定はリスクが高くなってきているのも事実である。
この答申に対して「何やねん、この答申は?!」高校で成功しているではないか。海外の大学に直接進学する人数をもっと増やすために中学に国際コースを設置し、高校の国際コースと連結したら良いではないか。」と私は迫らなかった。自分で言うのも変だがここは私の「聴く力=傾聴力」だと思っている。傾聴力とは、相手が話していることを聞き、相手の表情や仕草、声などの要素も鑑みて相手の要望や彼らの思考をしっかり汲み取ることである。「聴く力」と「聞く力」は、一見するとあまり違いがないように見えるが、大きな違いがあると思う。それは「聞く力」は聞き取った言葉によって何か行動を起こすことは含まれておらず、あくまで言葉の意味を理解するにとどまるだけである。
聴く力とは相手の言葉が含む意味を的確に察知し、その言葉にどのような思惑や意図が含まれているかを察知し、答申の中にもそれを聞いた理事長が一歩進んで「聴く力で次の行動を担保」しないと、諮問も答申も単なる「紙切れ」になってしまう。今回の答申にはしっかりと行動計画が書かれており、私は直ぐに高校と中学の国際関係の英語教師を部屋に呼び、指示をして具体的に行動した。この答申のやり方は「相手の意見を引き出す力」「共感力」「他者の意見を聞いてまとめる力」「会話を通して信頼関係を築く力」であり「人材育成」に合致した手法だと思う。