「厳父(げんぷ)」と言う言葉がある。きびしい父とか、厳格な父を言う言葉であり、基本的には他人の父を敬っていう語だと理解している。確かに私はこの法人に勤務する教職員に対して「仕事上、些か厳しい」かも知れないが、一方では「厳父慈母」という言葉もあって私は両方の役割も担っていると自負している。我が教職員に対して愛情深く接しているのは自信を持って断言できる。単に厳しいだけでは人は付いて来ないし、組織の目標など達成できる訳がない。浪速学院が未来も「盤石」でこの学校を通じて「教職員が学校人生での自己実現」が出来るように組織を前に前に進化させていくのが私の仕事であり責任である。私は単に「教職員の担ぐ駕籠」に乗っているだけのリーダーではない。「常に教職員の先頭」に立っている。「矢玉を受けているのは私」だ。ある人が私を「ゴッドファーザーみたい」と言ったがこの言い方には少しだけ満足している。組織の目標を定め、掟を作り、組織員を護り抜き、成果を適切に分配するのがゴッドファーザーの責任だとすればの話だが。昨日も教職員に配る積りの「干し柿」作りを始めた。合計400個程作る予定である。
私も最早「後期高齢者」になっているが次の常務理事の年齢が61歳、中学校長が60歳、高校校長が57歳だから、私が「君らが“おぎゃ―”と生まれた時に理事長は高校2年生とか大学生だった」と言えば皆黙る。このフレイズは時々使い、効果を上げている。人生経験が違うのである。加えて長い民間企業経験があり、公立高校の校長を4年間経験し、今の浪速で16年、今本校で働いている教職員の実に90%は私が採用した人物であるから、確かに他人(ひと)が言うよう(?)に木村は絶対君主、超ワンマン、超絶した存在かも知れないが、「ところがどっこい」、そのような言葉に酔うほど私は甘くは無いし、全くの見当外れだ。とにかく「仕事、仕事・・!」「次なる目標は?」「彼は今何をしている?」「新しいものは無いか?」「けじめはつけたか」「文章は書けるか?」等々、朝は7時前に席に着き、夕刻に帰るまで「動きっ放し」の「多動症候群仕事人間」だから確かに部下は大変だろうと思う。
理事長は部下の提言を聞かず、一方的に指示ばかりする人との見方をする人々は全くの見当違いで私の仕事の流儀は「部下に仕事をして貰う!」ことである。従って大切な事は「トップが自分の言葉で語る」ことが極めて重要である。「俺の目を見て悟れ」などはまやかしで、機会あるごとに「喋って語って又しゃべる」のである。人間一人でやることには限界がある。「優秀な人材を縦横無尽に動かし」、方向を決め、役割分担を定めて実行に移す、そして成果を評価し、分配や職位を公正に分け与えることが組織を動かす要諦である。本校では「働かない人」「動かない人」はとても窮屈に感じるだろう。そのような人は今は少なくなったが私はそのような教職員にも「チャンスを与え」、能力の範囲内で頑張って貰う努力をする。とにかく「何もしないで得をする人」が居ては困る。能力なりに働いて貰わないと困るのである。教員も事務職も、時に「ローテーション」で仕事を変える。そのようにして「自己の能力開発」を図って貰うのである。
私の進め方は「諮問」「答申」「結断」「役割分担」「実行」「チェック」「再プラン」のサイクルを徹底して回していることだ。個人や、グループに対して命題を与え、(これが諮問)、彼等からの回答を待つ(答申)、そして私がじっくりと話を聞いて結論を出す仕組みである。そこには私の「聴く力」即ち「傾聴力」が問われている。次のアラウンドでは木村流の諮問,答申、傾聴力、行動について実例を挙げながら触れてみたいと思う。