広いと言われている体育館が本当に広く感じられて、高校で22クラスにもなると、これほど生徒が多いのかと今更ながら感じられるような大きな「中高合同の入学式」となった。神社前と会場全体の景観が圧巻で、言いようもない位の安定感と高揚感が満ち溢れた入学式だった。私は今から101年前の大正12年(1923)、4月30日に沢ノ町の仮校舎で204人の生徒で入学式を行った旧制浪速中学校の時代を想像しながら感慨にふけり、今の幸せを感じると共に先人のご労苦に思いを寄せた。昨年の入学式も今年と同じ、4月5日で、入学者の数は浪速高校で900人、浪速中学校で148人であったが、101年目には高校で966人、中学で141人の合計で1107人のマンモス級の中高合同入学式となった。学院神社前に勢揃いした神前奉告で、新入生が立ち並んだ光景は生涯忘れ得ない一幅の絵画で、私はこの光景を目に焼き付けた。生涯忘れ得ないだろう。
神社前の左右の桜の木は満開とはならず、7.8分咲きだったと思うが、私は冒頭の式辞で原稿を変更しアドリブで「満開よりも7.8分咲のほうが良い。君たちみたいにまだ満開ではない方が良い。満開は直ぐに散るから・・・」と語った。まず飯田高校校長先生と西田中学校長先生が壇上から入学を許可する旨の宣言がなされ、その後中高の生徒代表が「宣誓」をし、次に私が登壇し、理事長・学院長として「式辞」を述べた。前日前には既に文章で用意していたが、実際話し始めると話しの展開は筋書通りであるが、時には割愛したり加えたりして、生徒を飽きさせないように起伏に富んだ話を心掛けた。「何時ものことである」。加齢と共に私の話は声に抑揚が大きくなったり、身振り手振りが多くなった。これはもう「スピーチとか喋り」ではなくて「語り」である。今回も自然に生徒と保護者に「熱く語りかける」ような話し方となった。式辞全文は学校法人の私の公式メッセージにアップされるだろう。
昨日の会場設営の視察に行った時に私は合唱部他が校歌の練習をしている時に、私の式辞の時に「あっ、そうだ!あの曲をBGMに流そう」と決めた。それは松山千春さんの1977年にリリースした最初のアルバムの中の「大空と大地の中で」という曲である。私が校長兼務時代は良くBGMとして遣わさせて頂いた曲で、特に歌詞が気に入っている。私の式辞の云いたい部分、神道の教え、建学の敬神、生徒への励まし、応援などを実にこの歌詞は上手く表現してくれている。流し始めた時に、会場は少しざわめいた。入学式の式辞の中でBGMを流すなどは普通は有り得ないと思うが私はやった。
いつの日か幸せを 自分の腕でつかむよう
歩き出そう明日の日に 振り返るにはまだ若い
ふきすさぶ北風に とばされぬよう とばぬよう
(中略)
生きる事がつらいとか 苦しいだとか言う前に
野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ(以下略)