2024年4月25日木曜日

4月25日は、楠木正成公誕生の日!

 私は格別に「楠木正成公」を尊崇している。だから公の幼名である「多聞丸」から多聞の一字を頂き、「多聞尚学館」「多聞茶寮」「多聞楽舎」「多聞イチゴ園」「多聞果樹園・農園」と数多くの施設設備をこの千早赤阪村に所有している。公は鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて活躍し、後醍醐天皇への忠誠を貫き、武家政治である鎌倉幕府を倒して「建武の新政」を敷いた。時代は建武元(1334)年で、今から700年弱の前である。公の思想と活躍は間違いなく明治維新の精神的柱になったことは間違いない。江戸時代末期、欧米列強の脅威を前に尊王による国の存続を唱え、吉田松陰ら明治維新の志士たちの精神的な支柱となった「水戸学」も、その原点は建武の中興の主役、正成公である。2代水戸藩主、徳川光圀(黄門様)は公の生き方を崇敬して自ら筆を取り、墓碑まで建立しそれは今も神戸の湊川神社に厳然として屹立している。私は多聞尚学館に楠公の騎馬像を建立した。 


この建武の中興の主役となった正成公は永仁2(1294)425日、ここ現南河内郡千早赤阪村水分山ノ井でお生まれになった。「義と忠の人」、楠木正成公は、未だに千早赤阪の人々の心に燦然と輝く存在である。後世日本人は「楠公」と言い、今や「大楠公」とまで言われ、尊崇されて来ている。戦前、その昔は「日本人で最も尊敬されている人物は?」の問いに対して正成公の名がトップに出たと聞く。この地には明治の元勲「大久保利通」主導の「楠公誕生地」の碑があり、毎年、425日に誕生を祝う「楠公祭」が碑の前で行われている。本日は4月25日、私はご案内を受け式典に参列した。 




この地には大正時代に後の昭和天皇が皇太子として参拝され、境内には「お手植えの楠木」がある。記録には他にも極めて多くの宮家が行幸されている。昨日の雨も上がり「薫風宜しく」、楠公を尊崇して明治時代に出来た、「青葉茂れる」の歌の如く境内の樹木はまさに鮮やかな緑で文字通り、爽やかなお祭りとなった。国会議員、府会議員、千早赤阪村村長、楠公遺跡保存会お歴々、神戸湊川神社の女性の広報室長始め、近隣の幼稚園児などが大勢参列し、多くの人々が故郷の偉人に想いを寄せたのである。私は幼稚園児が「青葉茂れる」を太鼓と共に合唱してくれたのには感動した。この子どもたちは大人になっても楠木正成公の名前を忘れることは無いだろう。