2024年8月22日木曜日

「絶景かな、絶景かな」

 「絶景かな、絶景かな」は歌舞伎狂言「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」で、大盗賊石川五右衛門が南禅寺の山門の上から満開の桜をめでて言う名セリフである。良く知られており、冗談めかして人は良く使う。この後は「春の眺めは価千金とは小せえ小せえ、この五右衛門には価万両」と続く。「絶景」とは、眺めが素晴らしく、美しい、すぐれた景色や景観を意味する表現であり、「絶」の字は、「絶品」などの「絶」と同様、「抜群に優れている」という意味で用いられている。そう、並大抵ではない素晴らしさの事で現代流では「半端ではない」か?久し振りに建設中の中学校棟に行き、6階の床部分のコンクリートが終わったのでここに立ち遠く神社を見たら、思わずこの言葉が出て来た。それ位素晴らしい眺めだった。 

開校100年目にして「初めての中学校専用の校舎」が来年3月には竣工する。私は100年前の先達や今本校で働いている教職員に対して「誇りの持てる校舎」を完成させたいと思い、本当に特別なアレンジをすべく考えている。今までの中央館や東館以上に気を回している。今日は中枢の2階部分の校長室、職員室、来客用応接室、エレベーターホール周辺の「意匠性」を高めるべく現地で関係者と打ち合わせした。「躯体以上に意匠性が重要」が私の信念である。躯体について、あれこれ言われるようでは、それは最早建物ではない。 


意匠性こそまず人の目に入り、人の感情に作用し、施主側は自分の建物に誇りを持てるのだ。要は「安普請」では駄目だということである。最も目に付く壁に100年前の旧制中学校の生徒が当時の伊勢神宮の別称である「伊勢大廟」に参拝している写真を縦90センチ横120センチくらいに延して壁に掲げる。この分野では第一人者の「大塚オーミ(株)」さんの手で永久保存版にして貰い、この写真一枚で浪速中学校100年の歴史を今に生きている生徒や教職員に語って貰う。これは記念になるぞ!

 

その他今日は「モデル教室」を3階に作るので「そのイメージ」を関係者で確認した。ポイントは「ICT武装されたシティ・スクール」がコンセプトで室内の白板やモニターに「画像と音声」をごちゃごちゃに混ぜ込み、これがICT教育だと、言わばICTの炊き込みご飯のような情景を作り出すように指示した。これを見た受験生や保護者がさぞかし、びっくり仰天するくらいの「仕掛け」をするように建設チーム長である中学のT先生に指示した。単に真新しい机や椅子を見てもらうだけでは意味は無い。ICTの真髄と拡がりを見て貰うのだ。どうせやるなら面白いものが良い。ようやく6階建ての建物で6階の床部分まで来た。後一回で躯体工事は終わる。ようやく工事は本番に差し掛かってきた。6階部分の床を見ながら私は感無量である。