2025年10月14日火曜日

「ヤッラ、リアド!(リアドに行くぞ)」

 今朝の読売新聞の中にサウジ駐日大使のビンザグル大使のインタビュー記事に「ヤッラ、リアド!(リアドに行くぞ)」の言葉があった。次の万博は2030年のサウジアラビアのリアドで行われる。もし私が元気だったら「是非行きたい!」と思う。世界有数のお金持ちで砂漠の国の万博をこの眼で見てみたい。その頃は高校の修学旅行もニューヨークとかパリとかロンドン、ベルリンとかの最先進国は止めて、ノーベル賞のスウェーデンとか、サウジとか、インドとか、トルコとか幅を広げる事を今本気で考えている。今回の万博を契機に以前から有していた考えが本気になってきた。読売と産経さんだけがトップ記事(1面右側)の扱いだった。さすが「保守系」と言うか。

今でも「ミャクミャク」は大好きには成れないが、嫌いではなくなった。少なくとも見て気持ちが悪くなることはなくなった。以前のアラウンドで気持ち悪いと書いたことを謝ります。184日間で2500万人が大阪・関西万博会場に殺到した。私は合計5回行った。パビリオンはアメリカ館、フランス館と一部のコモンズ館だったが、もう予約を取るのは諦めた。そんなものよりかあの「大屋根リング」に圧倒された。あれは素晴らしい世界最大の木造建築だ。日本人の卓越した技と文化だ。13日の閉幕の前日、17時入場のチケットをあらかじめゲットしておいたので、とにかく大屋根リングの夜の雰囲気をカメラに収めたかったのでたった一人で乗り込んだ。しかし「人、人、人、人・・・・・・」でリングの上では花火を観る人に挟まれて身動き出来なかったが夜間のリングを見て、そしてリング内のパビリオンを映すことで満足した。

 

開幕当初は万博そのものも否定され、時代遅れとか散々に言われてスタートした。中でもマスコミや一部識者などから「コテンパン」に叩かれたリングであったが、あれは良かった。円形リングが良かった。大きくて品格があったのが良かった。中に158の国や地域のパビリオンを配置したのも良かった。リングを全部残せとか、様々な意見が出ているが、まぁ一部保存で良いのではないか。関西に次回来るとしたら50年後とするともう我々の世代の話しではない。木造だから何十年も耐用は不可能である。人間って面白い。あんなリングに350億円も税金を遣い、「無駄使いのアホ」類の厳しい批判を投げたお方は今どのようなコメントを発するのか是非知りたいと思う人もいるかも知れないが、そんなことはもうどうでも良いことだ。 

「大団円(だいだんえん)」と言う言葉がある。語源は「団円」の意味にあって、「丸いこと」である。転じて「円満であること。人々の仲がよいこと」という意味が生まれた。劇や芝居の結末は円満に解決するのが通例であることから、「団円」は演劇用語として「演劇の最後の幕」という意味を持つように変化し、また転じて、「まるくおさまる。うまく集結する」という意味になったという。「大」は「団円」を強調する語で、「すべてがおさまる。完全に解決する」という意味だから、「大阪・関西万博は大団円の中にフィナーレを迎えた。」我ながらカッコ良い表現だ。本音を言えば予約システムとか言いたいことは有るが、言うとこれ以上の国力の衰退に拍車をかけることになる。一応上手く行ったのだから、もうごちゃごちゃ言わないでおこうよ。 

連休前の11日に行われた「浪速中学校の第1回プレテストの総括報告」が今朝ほど入試広報部のK教頭と部長のS先生からもたらされた。「こちらの結果は万博以上に私を満足させハッピーな気持ち」にさせた。欠席者率は昨年度の半数程度で、良いスコアを取った受験生が多かった。特に入試説明会冒頭の西田校長先生のプレゼンが大きな印象を保護者に与えたとの記述が光っていた。持ち時間は20分だったらしいが、これくらいあると「先生の持ち味」が出てくるのだと私は嬉しくなった。しかし例え、10分でも聴衆者を感動せしめないと駄目だ。更にプレゼンを訓練せよ。