2020年5月22日金曜日

「先生の昨年度の評価はこうでした!」

本校に着任して確か3年目から私は専任教職員を対象に「教職員人材育成・評価システム」を正式に導入した。府立高津高校長の時代に公立高校の教員評価システムが始まった影響もあった。公立学校までがこの種の制度を始めたのに私学にないのは「おかしい?!」と主導し、民間企業出身だった私は「社会の常識は学校の非常識」という概念の破壊に挑戦した。1年かけて準備し、始めたのだった。公立と同じものを入れても効果は少ないと考え、「日本総研」と契約し、担当の研究者と議論を深め、当時私立学校に合致する最新の絵を描いてスタートしたのだが、このシステムは今日まで続いている。昨年、管理職に諮り、見直しを図ったが、未だ健康な息をしているとの結論で「評価に伴う処遇のふり幅」を大きくして今日に至る。府内の私立学校で果たしてどこまで導入しているのか調べていないが、この種の制度がない組織など、一人前の組織ではないとうのが私の強い意見である。



一生懸命努力し、頑張って成果を出している教員と「ぬくぬくとした手厚い保護の元でぼんやり生きている教職員」が同じ給料や昇給ではその組織は成り立たない。社会では「当たり前」のことである。人が10人いれば1番から10番と結果に差があるのは仕方がない。本日、私は次々と教職員を部屋に呼び込み、令和元年人材育成・評価システムの結果を該当の教職員に「通達」した。総合的に検討し、年齢別にグループに分け、評価ランクの上がった教職員は月額給与がアップし、それは将来の退職金にも影響し、加えて年2回の賞与時にも大幅な金額が付与されるから満足して呉れるだろう。13年前と教職員のレベルは格段に上がっており、相対的に価値基準は高くなっているだけに「昔はこれで良かったと思える評価基準」は今では低いランクに陥る。「上へ上へ、高く高く、目標を掲げ、努力する教職員は本校の宝物」である。成果の還元先は理事長にではなく、あくまで生徒である。学校の教職員はあらゆる手を駆使して生徒に教える「プロフェッショナル」でなければならない。



プロフェッショナルが「素人みたいな先生」では駄目だろう。英語教育が国の施策として強化されている中で、英語教師で言えば「外部英語検定機関の資格」をもっていなければ、生徒から「先生は英検、何級ですか?」「先生はTOEICのスコアはいくらですか?」と訊かれて胸を張って答えられないようでは困るでしょう。資格取得を生徒に強く勧めているのだから、先生も取らないと。コロナだけの問題ではなく今後「デジタル社会、デジタル学校」の出現が目の前にあり、「私はコンピューターは苦手で」とか「オンライン教育には興味がありません」でタブレットや指導方法が分からない先生は授業に支障が出るでしょう。個人個人の先生の興味を聞いているのではなく、「出来るか、出来ないか」を問い、努力と成果を評価するのがこのシステムの目標である。あくまで「人材の育成」が基本であり、即刻「あなたは駄目だから首!」と言うのではないが幾ら指導してもダメなら進路を変えて貰う。今年の3月末で一人本校を離れて他校に行った教員がいるが、果たして其処でお役に立てているのだろうか?このシステムは教員に差を付けるのではなくて先生方を守る為の方策だと気付かない人は「アカン!」