2020年5月27日水曜日

「常若(とこわか)」の精神

本校にはかけがえのないお人がいる。私個人にとっても本当にかけがえのないお人である。尊敬、敬愛してやまない。尊崇と言う言葉を使っても良い。我が人生で最大の恩人でもある。私のこの浪速学院に招聘して下さり、全てを任せてくださった。13年間、温かく見守ってくださった。助言とかアドバイスとかは無い、ただただ見守って下さり、私はこのお方の「スタンド・バイ・ミー」を地でいった。この方のお陰で大阪の神社界は言うに及ばず全国の神社界に知己が拡がり、関係を深めることが出来た。神社本庁からも伊勢神宮からも顕彰される栄誉にも恵まれた。このお方のお名前は寺井種伯氏と言う。神社本庁長老、大阪天満宮名誉宮司、斯界の役職は数えられないくらい多い。多くの方々が私のように寺井ファンなのである。


御年88歳、まだまだお元気である。私はお元気な内に「書を所望」とお願いに参上した。ご多忙の中、ようやく戴くことが出来たので、それを最高級の「扁額」にして本校の最も学院神社に近い「だ太鼓」の横に掲げることにした。それを本日の理事会・評議員会に先駆けて「お披露目」をしたのである。令夫人ご同伴で久々に学校にお出まし頂き、理事や評議員、教職員の参集した中で除幕をした。書いて頂いた字句は「常若(とこわか)」である。私が考えに考え、お願いした言葉で、神社神道の精神を建学に掲げ、未来を繋ぐ若者が学ぶ本校にこれ以上の最適な言葉は無いと考えた。常若、響きも良いし、簡潔である。大好きな言葉だ。


これは元々、伊勢神宮に関係深い言葉である。神宮に関する書物には多くこの言葉が出てくる。伊勢神宮と本校はもう65年の長きに亘って「伊勢修養学舎」を継続してきた。「常に若々しく」「常に生まれ変わり」「継続することに意味あり」と私は理解している。20年に一度すべてを作り替える神宮の「式年遷宮」を「和のサステナビリティ」であると言った人が居る。式年遷宮とは天武天皇が定め持統天皇の御代(西暦690年)に始まった国家的儀式であり、20年に一度新しい神殿(殿舎造替)に新しい御装束と神宝を整えて、御神体をお遷しする(遷宮)儀式のことで、応仁の乱の時代の約130年間を除いて現代(2013年)まで1300年以上の長きにわたり執り行われてきた。


「サステナビリティ」(sustainability)」とは、「持続可能性」または「持続することができる」という意味であり、 サステナビリティへの取り組みというとき、何を持続するのかというと、本校の場合、学校そのものと優秀な教職員の集団である。私は今回の「コロナ禍」の中で従来の「成長主義」から脱却しなければならないと感じた。成長して再生産し、継続することが今までの考え方であったが今や「継続すること」を第一義に考えて身を処するべきと考え始めた。勿論単に継続だけなら「停滞」と見なされかねない。「成長」を目指して結果として「継続」することはあっても、「継続」こそが組織の第一目的ではないかと考え始めたのである。


成長が目的となると、危険極まりないことが今回の事で思い知らされた。成長の陰でウイルスから見れば人間は無茶苦茶な日常を送っていたのかもしれない。式年遷宮は、神様は常に新しい神殿でお迎えしなければならないという発想から常に新しく造営するのだが、これは「常若(とこわか)」であり、古くなったものを作り替えて常に若々しくして永遠を保つという発想である。西洋的発想ではコンクリートや石などで頑健なものを作ることがサステナビリティになるが、式年遷宮は逆に朽ちやすく簡単に壊すことができる木で作る。しかし定期的に作り替えることで永遠の若さが保てる。この「壊れやすいものは壊して、また新しくすれば永遠に持続」する。こういう真逆の視点からの「日本流のサステナビリティ」こそが世界の中で輝く日本を知らしめるのではないか。我々は未来永劫本校を継続させ、常に若々しく弾力的に柔軟に再生産していく思いを込めてこの常若の扁額を掲げた。