2020年5月9日土曜日

コロナとの戦いに身を纏えよ!

確か小学生か中学時代の理科の授業で「コロナ」という意味を習った。そう、あの輝く太陽最外層で、皆既日食の時、太陽のまわりに真珠色の淡い冠状の光として見えるものだ。外観がこの「太陽の光冠」に似ていることから、まず最初の言葉にコロナを持ってきたという。一方「ウイルス」という言葉は生命の最小単位である細胞やその生体膜である細胞膜で、古代ギリシアのヒポクラテスは「病気を引き起こす毒」という意味でこの言葉を用いている。ウイルスは「毒液」または「粘液」を意味するラテン語 virus に由来して命名されていると本にはあった。「美しい響きのするコロナ」という言葉に「気色の悪いウイルス」を引っ付けて最初にコロナウイルスと表現した人は素晴らしい言葉センスのある人だ!

今朝の産経は11面「解読」コラムに、「文明が招いたコロナの世紀」「ウイルスと人類 果てなき戦い」の見出しで「為になる記事」があった。私はなめるように文章を追っていった。中国武漢の食材?「こうもり」から発生した新型コロナウイルスは瞬く間にパンデミック(世界的大流行)となり全世界を恐怖に陥れ、いまだに終息、収束する気配を見せていない。学者の中には都市封鎖や外出自粛が解除されれば第2波が押し寄せる可能性があると言うし、人類のかなりの割合が感染して「集団免疫」を獲得しないと終息しないという見方も現実味を帯びてきている。怖い話である。

ありふれた風邪の原因でしかなかったコロナウイルスは21世紀に入って、まず2002年の「SARS」、2012年の「MERS」、そして今回の「新型」である。2012年の時は1週間後に控えた海外修学旅行を取り合やめることになった。今回も結論は出していないが11月の海外修学旅行は中止せざるを得ないと思う。厳しいのはこの新型はどんどん変質、変容して行くというし、野生の哺乳類には32万種類の未知のウイルスが潜んでいると言われている。そう、コロナとの戦に終わりは無いと認識すべき時が今であり、今後ともコロナウイルスと人間社会は「共存」していると知らねばならないのであろうか?今はこの新型を終息させるために一刻も早く「治療薬」と「ワクチン」の開発を願うばかりである。検査薬は罹患した後の話だ。とにかく今は「コロナとの戦いに身を纏うしかない」のだ。手洗い、うがい、マスクは真夏でも欠かせないのか?

「新型コロナ後」の学校は「どのような形であるべきか?日常のスタイルは?」と深く考えてはいるが、当然のことながら難しい。答えは未だない。しかし私は学校という舞台で生徒への感染者が出ないようにする為、「今、出来ることをしっかりとやる」だけである。来週月曜日から「分散登校」が始まり、初めて新入学生である高校1年生と中学1年生が登校して来る。彼らにとって初めて制服に身を包んだ正門からの登校である。つい最近、中学生には音楽の授業で使う「ギター」を40台揃えた。これで管楽器のリコーダーと弦楽器が揃った。このような中学は恐らくないだろう。高校生には美原のスポーツキャンパスの完成を急がせている。あの広大さには驚くばかりであるが、かかる事は理事長の私の力で出来るが、新型との戦いには全く無力を感じている。早く通常の学校の形を取り戻したい。