2020年5月25日月曜日

学校の「ニューノーマル」は?

安部総理は5月21日に首相官邸で開いた政府対策本部で、「解除が進む中、感染拡大を予防しながら新たな日常をつくりあげるチャレンジが全国で始まりつつある」と初めて「新たな日常」という言葉を使われた。又コロナの所管である西村大臣は「命が大事であるが経済活動も大事、データと科学的根拠に基づく判断と対策、地域・状況に応じた段階的対応、そして、スマートライフの定着」と、これら三つの事を行っていきたいと発言された。このスマートライフに注目だ。そして今「ニューノーマル(新常態)」という言葉が出てきている。これは新たな状態や常識を指す用語で、構造的な変化が避けられない状態を指し、今回のコロナ禍により、我々は立ち直ってももう元の姿には戻れないと言う意味である。私にはこれらの意味が良く分かる。

目に見えないこのコロナウイルスは世界をパンデミックに陥れ、グローバル世界を直撃し、需要と供給チェーンを破壊し「にっちもさっちも」いかなくした。マスク一つで人々を震え騒がせたのである。恐らく世界の秩序、人々の日常生活は一挙に同時並行で変わっていくのだろう。それは学校社会とて例外ではない。最後の変化の対象は学校だと思う。「ITC武装された教育現場」「9月入学」「6.3.3制の改編」「3学期制の崩壊」「カリキュラムの自由選択」「大学入試方法の変化」「AIロボットによる教育」等々数え上げたらキリがないくらいだ。まさかこの年になってこのような状況を体験するなど遂3か月前までは思ったことさえなかったのに。

しかし学校現場はある日、突然に変わるということは出来ない。当面は「With Corona」で「新しい学校の日常」を作り出していかねばならない。公立学校と違って私学はその独立性が保証されていると言っても今や「かなりの公金」が投入されているからやはり所管官庁の行政指導には目を向けるし、私学を助成しなければならないという法的根拠から私学側も私学助成を常に訴えていく必要もある。どこを切っても「金太郎あめ」みたいでは私学の私学たるゆえんはないから、そこは「知恵と工夫」で前に進み、本校の特徴を出し、生徒に来て貰い続ける学校でなければならない。簡単に廃業というわけにはいかない。



今日の校務運営委員会で私はこの辺りを強調した。今朝の読売が報じるところによれば第二次補正で全国小中高36000校に1校あたり100万円から最大で500万円の感染予防、学習支援費を出すとあった。私は事務サイドにお金も入りそうだから教員に「フェイスシールド」を使ってみてはどうかと述べた。「新たな学校の日常」を作る為に今やれることは何でもやるのである。一部の保護者から「子供を守る為にまだ学校にやれません」と言われたら返す言葉がないような状況を作り出さないのが私の仕事である。府においても支援金があるように今回のコロナほど政府、地方行政サイド、国民が学校現場に目を向けるようになったのは僥倖でもある。私はこの時を天の声として根本的に学校を変えることが日本の為になると信じて疑わない。急激には出来ないから徐々に徐々にするしかないが、子供たちが学んでいる学校でのコロナとの共存はしんどい話だ!故に「学校のニューノーマル(新常態)」を考えて行く必要があるかも知れない。学校行事などの思い切った削減である。