遂に「開校100周年目の秋季例祭」の日が来た。57回目となる。本校は4月の春季例祭と秋9月の秋季例祭を最上位に重要視する学校行事として設定し、学院神社の大神様に4月からの半年間の学校教育活動の成果への感謝と、今日から折り返しとなる来年3月末までの教職員と生徒の安全無事と健康、そして学業の向上を神様に祈願する極めて大切な日である。神社には「幟」を立て、剣道部員が打ち鳴らす3尺大太鼓の報鼓で「祭」は始まる。昨日急遽私は100年目だから「鼉太鼓」も神社前に置くように指示をした。この祭りの「祭主」は学校設置者の理事長である私であり、お祭りを執行して下さる「斎主」様は市内「坐摩神社」から来て頂いている本格的なプロの神職である。
ご来賓も多く、大阪府神社庁、本校理事、評議員、同窓会、それにPTA会長である。玉串奉天は理事長、前述のご来賓、加えて高等学校の自治会長、中学校の生徒会長だ。決して形だけの祭事ではなくて本格的なものにしている。これが重要で生徒に「本物を見せる」ことこそ教育だと考えている私は決して手抜きはしない。従って神様に奉納する雅楽と神楽も他のお宮からの借用ではなくて自前である。雅楽部と神楽部を育てるのに15年かかったが今では府内の神社から称賛と垂涎のお声を頂く。本当に素晴らしく何時も私は本殿前の拝殿で雅楽部の奏でる雅な音曲に合わせて舞う神楽部の女生徒の「豊栄の舞」を見るたびに嬉しさで目頭が潤む。
彼女たちを我々は「舞姫」と呼んでいる。有名な森鴎外の「舞姫」の字と同じであるが全く違う。鴎外の舞姫は国語の教科書にほぼ必ずと言っていい程載っている有名な短編小説で、1890年(明治23年)1月号に発表された高雅な文体と浪漫的な内容であり、鷗外初期の代表作とされる。我々の舞姫は小説の不幸なドイツ女性の舞姫とは全く異なり、将来の夢に目を輝かせている素晴らしい女生徒だ。一般的には神楽舞を奉納する女性たちは「巫女(みこ、ふじょ)」さんと呼ばれているが本校はあくまで学校教育の一環としての立場で彼女たちは日夜、日本の神に仕えている女性神職ではなく、学校クラブ活動であるから、区分する為に巫女と呼ばず、舞姫と呼称している。
本日の例祭で舞姫が奉納したのは以前にも書いたが「豊栄の舞」で、始まりの起原は「古事記」「日本書紀」に出てくる「岩戸隠れの神話」から来ている。主役は天鈿女命(あめのうずめ)という芸能の女神で日本最古の踊り子と言われている。この舞は「巫女舞」「乙女舞」と言われている女性だけの神楽である。豊栄の舞が形式的に確立されていったのは、1950年以降と比較的近代になってからのことであり、極めて美しい所作で分かり易い神楽である。舞人は榊または季節の花を右手に持って舞う。特に歌詞は2番まであるがこれが素晴らしい。
一、 「あけの雲わけうらうらと 豊栄昇る朝日子(あさひこ)を
神のみかげと拝(おろが)めば その日その日の尊しや」
1番の歌詞にある豊栄(とよさか)とは、「太陽がのぼり美しく輝くさま」をいい、作詞者の臼田氏が作詞にあたり最初に思い浮かんだのが「豊栄のぼる」という詩句であったとある。毎朝毎朝、昇ってくる太陽と、めぐる日々そのものへの感謝がうたわれており、まさに「陽は昇る」に心を震わすのが日本人のDNAなのかも知れない。