本校は本日5日が「初出の日」となった。毎年毎年、初出の日には次の俳句を思う。「去年今年 貫く棒の如きもの」。この高浜虚子の句は鎌倉駅の構内にしばらく掲げられていたが、たまたまそれを見た川端康成は背骨に電流が流れたような衝撃を受けたと言い、感動した川端が書いた随筆によって、この句は一躍有名となった。去年と言い今年と言って人は時間に区切りをつける。しかしそれは棒で貫かれたように断とうと思っても断つことのできないものであると、時間の本質を棒というどこにでもある具体的なものを使って端的に喝破した凄味のある句である。貫く棒は人によってそれぞれ異なるだろうが、「私にとっての棒は全て学校に係るもの」だ。本当に、本当に大好きな俳句であり、責任感で身が引き締まる。こん棒でもっとしっかりせよと背中を叩かれている感じだ。
新春に思う句と言えば小林一茶の俳句も心にかかるが、加齢と共に句への思いが離れて行く感じだ。「めでたさも中くらいなり おらが春」。お正月と言えば、世間の人は餅をつき、門松を立てて新しい年の希望に心がはずむ時期と考えられるが、一茶にとっては「そんなにめでたいものなのだろうか?」と感じたのかも知れない。年若い妻と幼い我が子を前に「あと何回、こうして年を迎えられるのだろうか・・・」と老い先短いわが身の心境からくるものかも知れない。苦しい人生を送ってきた自分にとって、新年だからといってめでたいと手放しで喜ぶことはできないけれど、「中くらい」だと一茶なりに祝おうとする姿が見えるが、私には何か「せつない」句に感じ始めた。だから自然と気持ちが付いて行かないのかも知れない。