2020年2月12日水曜日

「温情の人、野村再生工場」野村克也氏逝く


高校入試業務も大詰めを迎えた。今日は9時から一昨日の学力試験、昨日の面接試験を経て総合的にデータを眺めて「合否の判定」を校務運営委員会並びに各教科長出席の元で行った。厳粛なものである。教務部と情報委員会のメンバーが素早く信頼できる基礎資料を用意してくれていた。素晴らしい。その後10時過ぎから関係教員で「発送作業」が始まった。受験生本人宛、中学校宛、ここで封筒への入れ間違いなどあれば「万事休す」だから極めて神経を使う作業である。今までノウハウを積み重ねており、間違いはなかった。何重にもチェックがかかるようにシステムが出来上がっている。



  

これで今年の入試は終わったかと言えばそうではない。15日の土曜日には「1.5次入試」を行うことを既に本校は発表している。やはり進学先を変えるとか、1次入試で思わぬ不覚と感じた受験生はこの1.5次入試に向かう。96校ある私立高校で60校以上が1.5次を打つ。しかしまだあるのである。2次入試というのがあって最後の最後の機会であり、「15の春を泣かすな」で受け入れる学校はある。本校は2次入試はやらない。1.5次で門を閉じるのだ。このように1月は正月気分が終わると同時に中学入試、高校入試と厳しい時が過ぎていく。この間私立中学・高校のトップは気が休まる時はない。





ところで「野村克也」さんが逝ってしまった。それも病床に伏すことなく突然にだ。このニュースを知った昨日の夕刻以降、私は少し元気を無くした。マスコミは彼のことを「名将」とか「知将」とか書いているが、確かに間違いではない。しかし私は野球という狭い世界だけではなくもっと大きく捉えて、彼こそ日本人の中でも「人物」であり、「傑物」だったと思う。人物は文字通り人の事だが「人柄、能力、才能」がとびぬけてすぐれた人物の事である。若い頃は野村さんが自ら言っていたように「ひまわりの如き長嶋茂雄」さんこそと想っていたが年を取るに従って「月見草の野村さんの味わい」が好きになってきた。



野球界も学歴社会であるが、京都の高卒の野球少年がここまでの輝く前人未到の業績を残した。ヤクルト、阪神、楽天と弱小チームを率いて日本一が三度、個人の球歴も戦後初の三冠王となり、数々のタイトルを獲った。「頭を使えとID野球」を唱え、多くの選手を育て今活躍している多くの監督を養成した。功績は枚挙に暇がない。「失敗は成功と読む」「負けに不思議の負けなし」とか色々な名言を残した。有名な「ボヤキ」は野村さんの「温情」そのものの発露であろう。そう、彼は「温情の人」なのである。温情の人でなければ人はついて来ない。



監督の座を2回も追われても、あれほどマスコミに散々に書かれた沙知代夫人を生涯かばい続けた。先に逝ってしまった夫人のいない生活環境によほど参っていたと聞くが後を追ったのではないかとも感じた。女性に対する男の在り様みたいなことは、ああいうことなんだと教えて貰った気がする。今朝の朝刊は朝日と産経が一面トップ記事に持ってきており、各紙とも極めて好意的な内容であった。マスコミも野村さんを大きく認めていたのである。私は昨夜からのテレビの特番から今朝の新聞まで、野村克也という男の人生を想った。そして私は同じ男としてますます尊敬する気持ちが強くなったのである。





野村さんは野球というスポーツを精神・根性野球から頭脳のスポーツに変革した人物である。「反骨心の塊」であり、ユーモアを持ち、分かりやすい言葉を発信して、部下を育てた。この「人を育てた」ということが最大の功績である。まさしく「温情の人、野村再生工場」の工場長であったと言える。政府は「国民栄誉賞」を授与するべきである。長嶋さんは既に貰っている。「ひまわり」だけではなくて「月見草」にも与えよ!彼のような人生は無理としてもせめて今の職場で「温情の人、木村再生工場」と言われて私も生涯を終えたいと思う。