2020年2月5日水曜日

学校の顔と発信力


昨日の耐寒行事「葛城古道を歩く」は良い天気にも恵まれ気持ちの良い一日となった。生徒1325人は誰一人落伍することなく踏破してくれた。本校では「山之辺の道」と葛城古道を毎年交互に実施しているが葛城の方が坂道が多く厳しい感じだ。神社神道の学校としてその精神性を重んじる私が方向を指し示し、「保健体育科の教員」が一生懸命探し出し、「開発してくれたルート」故に今後ともこの学校行事は「伊勢修養学舎」「海外修学旅行」と並ぶ3大行事として後世に伝え継続していかねばならない。これは私の遺言である。参加した生徒も体調不良で出来なかった生徒にも本日「すぐ消せるボールペン」を記念品としてプレゼントした。






学校を離れた生徒の顔は別の意味で輝いており素晴らしい。時には教育の現場として学校本体を離れることは大きな効果を生む。それにしても生徒は可愛いものだ。冬の一日、私服に身をまとった生徒は男子も女子も弾けたように談笑し動きも軽い。どうして女生徒は何でも「きゃあ、きゃあ」笑うのだろうか?不思議でならない。確かに「箸が転んでもおかしい年ごろ」だ。学院長・校長として生徒と触れ合うこのような機会は嬉しいし貴重である。私はどうも「人気者?」で男子からも女子からも声がかかり、写真を頼まれる。学校内部の一種の看板役者である。自慢話でも何でもないが学校の校長が「どこにいるのか?話したこともない」ような校長では駄目だろう!校長は学校の花形選手であるべきだと私は考える。





それにしても昨日のアラウンドは時々刻々と写真で「学校の今、この時」を伝えたものになった。私に同行してくれた事務室のK君の評価できる仕事であった。社会は今や「発信力」が勝負の時代である。私立高校とて同じことだ。「学校の顔たる校長が校長室に閉じこもって冬眠しているような学校」では遅かれ早かれ、駄目になるのではないか?校長室で理念だけを考えているより、時々学校を離れて生徒と触れ合う校長の方が教育効果は上がる。校長は責任を恐れてラストバッターになるのではなく、トップバッターであるべきだと私は思う。




しかし傍でK君を見ていたが結構作業が大変だった。それは携帯のタブレット端末「iPad」とWindowsブログソフトとの相性が悪いからである。相性が悪いのを無理やり、結びつける方法を情報処理の達人が考えてくれ、それをK君が使ったのだが処理に時間がかかり、やり難いこと極まりなかった。写真は素晴らしいだけに残念だが今後は「iPad」は使用しないことに決めた。小型のノートパソコンを使うように今段取りしているところである。