2020年8月19日水曜日

「君臨も統治もする」

「君臨すれども統治はせず」という有名な言葉がある。この意味は英国国王は君主として君臨しているが、統治権は議会を通じて国民が行使するというイギリス独特の政体の意味である。浪速学院の「理事長・学院長」はこれに倣えば「君臨も統治もする」か?そうせざるを得ない理由もあるからである。理事長は学校設置者であるし学院長は高校、中学双方に対して統治が出来なければ高校と中学でそれぞれの校長先生が独自の「教育観」を持ち出してしまえば「バラバラ」になってしまう。浪速中学と浪速高校は基本的に別物であり、所謂中学・高校の一貫校ではないから、どうしても「高校、中学のまたがりの案件」には双方に力を及ぼす権限が必要である。それが学院長の権力と言って良い。

今私は頭を悩ましている案件がある。それは学校行事である「芸術芸能鑑賞会」についてである。本質的に私はこの行事を重要視しており、これからの人材にはこの素養が無ければ人間として未熟である。勉強だけが出来れば良いとか、スポーツの才能があれば良いというだけでは不満足である。しかし今日のコロナ禍の中で今後どのように「新しい学校の日常」を創設していくのかという観点から頭を悩ましているのである。本校は中高合わせて生徒数が2300人を超え、これらを一日で済ませるとなると午前、午後の2回公演で大きな会場の確保が必要であるし、移動だけでも大変である。まさに「密」の典型である。

どちらかと言えば本校の芸術芸能鑑賞会は「手作り感満載」でそれなりに多くの人の力で作品を作り出すきらいがあった。それは今まで大体の演目はやってきたからだが、今後手作り作品は増えてくる。今年は「日本舞踊と地歌三味線の世界」と銘打って頑張ってきたが遂にコロナで中止に追い込まれた。来年は「イタリアオペラ」で府内の有名な音楽家とオペラ歌手さんの力を借りて今まで進めてきたが一向にコロナは収まらない。狭い会場に一杯一杯の生徒を入れて鑑賞会をやるリスクは例え来年6月の計画と言えども大きいと考えた方が良いのではないか?それに中学高校と同じ演目を同一日である必要があるのか。別別であれば会場の広さも軽減されるかも知れない。驚くほど会場費が高くなった。その分街の有名な劇場に出掛ける手もある。毎年毎年やる必要があるのか。高校は1年か2年の段階でと年次で区切る考えもあるとか、考えれば考えるほど新しい考えが出て来る。

こういう時に便利なのが拡大朝会で高校、中学の校長以下管理職と担当の分掌の責任教諭を集め、理事長・学院長の考えを詳しく述べて「双方でじっくり考え、理事長学院長に諮問せよ」というスタイルである。元来は学校行事故に学校長の責任で遂行されるべきであり、理事長学院長から「そうするように!」との一方的な指示では今後の事を考えれば良いことではないとの強い思いがあるから、このチームを編成し、テーマを出してプロフェッショナルに深く検討をさせ、それを学校の方針とするやり方こそ私は「君臨し統治している」と思うのである。コロナは後2ないし3年は続くという意見もあるし、中学と高校に分かれた本校のような大規模校では新しい考え方を入れることも大切なことである。学校の教員は概してこのような考えが得意とは言えないだけに「言えることの出来る私の責任」として責任を果たしているのだ。