2021年1月27日水曜日

第73回高校卒業式 「木村賞の褒賞」

「第73回目の高校卒業式」の日であった。天気にも恵まれ幸いであった。昨年までなら私は高校校長として「黒羽二重紋付に仙台平の袴」と正装の和服で臨んだものだったが、今年からは校長を飯田先生にバトンタッチしたので洋装の「略礼服」とした。校長は当然「黒モーニング」である。どういう訳か公立も私立も卒業式の校長の服装は圧倒的にモーニングが多い。これも引き継がれた学校文化である。コロナ禍の卒業式ということで式次第は大幅に見直し、時間短縮を図った。それでも神前奉告から式終了まで1時間15分かかった。卒業生はこれから本格的な大学受験が控えており、最大限の配慮が必要である。 



この学年は私が入学を許可し、2年後に校長職を譲ったから新校長は3年次の1年の間、面倒を見てくれたことになる。これを新校長は式辞の中で触れてくれ、生徒や私への配慮をしてくれ、有難かったと思う。しかし企業社会では途中で社長が交代しても社員には余り影響はないが学校社会では「このようなものなのか?」と私は感じた。学校と言うのは校長が入学を許可し、3年後に卒業証書を授与すると言うのが「大きな不動の文化」なのである。だから教員もその昔は他校に変わっても行っても卒業式だけは元の学校に出張して参加するというスタイルだったが本校では私はこの風習をやめた。昔に浸る暇があったら今の生徒に時間を使えということだ。

 


式の進行に伴って私は感じるものがあった。それは「リモートの卒業式も悪くないな」と正直感じたのである。広い体育館には卒業していく654人と学年団の教員だけである。浪速の体育館は広いと言われているが卒業生654人で一杯一杯の感じだ。だから今まではすし詰め状態だった。在校生も保護者も、PTA会長や役員、同窓会会長も理事・評議員も今回は参列を遠慮いただき、「簡素で教師と生徒のみ」という空間が不思議な雰囲気を醸し出しているのである。生の肉声のスピーチは校長と卒業生代表の答辞のみである。勿論会場の中での出来事は全て、リモートで動画撮影され同時並行で別部屋の保護者には流されている。式典終了後の最後のホームルーム教室での様子までもがそのクラス単位でまとめられた保護者の部屋に音声と映像が流されているような学校は府内にはあるまい。全館Wi-Fi環境がなせる技である。

 式次第で私の出番は「木村賞」から始まった「寳來賞」「浪速学院理事長賞」「大阪国学院理事長賞」の4件の授与があった。木村賞について司会は「次に学校法人浪速学院からの特別褒賞の授与となります。本学院理事長、学院長の木村智彦先生より授与されます。まず木村賞の授与となりますが、これは昨年度より新設された賞となりますので紹介させて頂きます。在学3か年間、学業成績、生活態度が優秀で他の模範であった生徒1名に対し授与致します。褒章の名称につきましては平成19年より浪速改革を進め、本校を飛躍的に発展させられた木村理事長・学院長のご功績を後世に残すために、我々教職員でお願いし、理事会で承認され、木村賞として授与することになりました。本校の表彰制度の最高位の賞となります。」との発言があった。

 当事者がまだ現役で生きているのに自らの冠りの付いた褒賞を自らが授与するのは確かに気恥しいが、それを我慢して私は「木村賞」の創設を受け入れた。基金は自らが昨年寄付しファンド化して貰っている。単に表彰とせず、褒賞としたのは善行・功労・成果などを表に彰にする(公に明らかにする)とともに、被表彰者の功績及び実績に対して最大限に褒め称える為である。「褒賞」は、模範となるような行為や努力を褒めたたえることだけではなくて褒める意味で与える金品を意味している。木村賞はご褒美(ほうび)として褒賞金は10万円とした。その後神社前にて保護者を入れて記念写真となる。これもご褒美だ。



厳しい経営状況から脱し、ようやく認知された人気のある大規模校に成長した本校も未来永劫続くと思うような甘えた考えを捨てなければならない。栄枯盛衰は世の常である。その時に本校最高栄誉の褒賞名に木村の名前があることは現在85%近い教職員は私が採用した教職員であると言う事実から「初心忘れるな。常に生徒ファーストを意識し、頑張れ」との赤信号がこの木村賞なのである。生涯現役を覚悟しているが、私も何時かは終わる。それでも私の名前は残り、「教職員に警鐘を発出」するのだ。木村賞とはそういう意味もある。とにかくコロナの中でも従来とは趣の違った卒業式が無事に終わって安堵している。生徒も教職員も良く頑張ってくれた。コロナ禍の中で654人の生徒を導いてくれた先生方、有難う!素晴らしい。




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