昨日の美原区にある総称「高天原スポーツキャンパス」第二期工事の「乾坤一滴ドリームフィールド(Kフィールド)」の施主検査は実に感慨深いものだった。平成29年9月に地鎮祭を行って以来、実に4年、あの広大な5メートルも段差のあった草原が今見事に競技場として蘇った。前から因縁のあったこの土地に今生徒がスポーツを通じて自らを高める教育施設として集う場所が完成したのである。私はクラブハウスの最適な場所にスポーツキャンパス全体の神様として「産土の神」を神棚でお祀りする。そして国旗掲揚台の傍らに日本の総氏神として伊勢神宮を遥拝する「遥拝所」を建立することも決めた。神社神道の学校として大切なことである。こういう事を意識して行かないと、私学の本校は本校でなくなり、日本人は日本人でなくなり、日本は日本でなくなる。今生きている我々は遠い、遠い先祖から今に続いており大地に行かされてきた。「神々の国」、それが日本である。
「産土」は(うぶすな)と読む。間違っても(さんど)とか(さんつち)と読んではいけない。まあ、今の世の中だから恥をかくことはないが知っている人は素晴らしい教養の持ち主と称賛されるだろう。漢字変換でやってみると、ちゃんと変換されるから。「産土神」は人間一人一人にとって「オンリーワンで一生守ってくださる神様」だと思うのが分かり易い。よく「氏神さま」と間違われるが、家と個人の区別と私は理解している。氏神は住所でどこの神社かというのがある程度特定されるが、産土神はたとえ同じ住所に生まれた親子や兄弟でも別々の神社になることが普通で、その理由は、魂と前世や先祖が関係して、その人の一生の産土神が決まるからである。
言い方を変えれば産土神はその者が生まれる前から死んだ後まで守護する神とされており、他所に移住しても一生を通じ守護してくれると信じられている。産土神への信仰を「産土信仰」という。又産土神は安産の神である産神とも関連があり、日本中、どこへ行っても産土神社があり、産土神が祭られているから、 「産土神と産土神社は、日本神道の根幹をなす存在」だと言える。このように昔の日本人は、産土神社に参拝することを生活の一部としてきたが、産土神と産土神社を知らないという日本人が驚くほど増えてきたのも事実である。あなたの産土神社はどちらの神社ですか、と尋ねられて、即答できる人は本当に少なくなっている。
とりわけ都会に住む本校の生徒も、産土神社とのかかわりが甚だ薄くなっているから何らかの手を打つ必要性を感じていた。人間誰であれ、父と母から産み出されたことに変わりはなく、ならば、産土神の産霊(ムスビ)によって産み出されたことに変わりはない。自分の肉体形成の原点である、父と母と産土神に感謝の心を向けるということは、自分の生命力の根っこに栄養を補給することになるのである。先ずは産土神とどこかで繋がっていることが重要であり、ここスポーツキャンパスの守護神として「産土神社の御霊を分霊」してお祀りすることは大きな意味があると考えた。私が今やらねば未来永劫誰もやらないだろう。だから今やる。産土参拝をこのキャンパスに取り入れることで、生徒達には自分の人生を切り開いていって欲しいと思う。「貴方にはオンリーワンの神様が付いている」のだ。