2021年1月23日土曜日

串カツだるまの上山会長と俳優の赤井英和氏

コロナ禍の中でも時は止まらず、しずしずと進行する。今日はわずか6日前の日曜日に最終合格した者を含めて多くの小学校6年生が受験生の身分から浪速中学校新入生になる為の「身分変更の手続き」で登校してくる。入学許可証明書、授業料等の納付、通学路の確認、通学定期券の購入説明、制服採寸、体操服、体育館シューズ注文等が粛々と行われる。次回は2月27日で更に準備が深く進む。「新入生心得」「生徒生活指導部からの説明」「ICT教育」等々根幹部分への説明に進み、もうこの段階で「春季課題」としての宿題が課せられる。そして「4月5日入学式」となりその翌6日には「宿題実力テスト」で真の意味の学力検査となる。今後の指導方針の為である。更に翌「7日が始業式」でこの日、学院神社の「春季例祭」があり、大神様からお祓いを受けて名実ともに浪速中学校の1年生となるのだ。「この先6年間のロングフライトの離陸準備」である。 


令和3年度の高校入試の出願にも浪速中学の3年生が既に出してくれており、全て当然だが専願であり、心強い限りである。中学1年生から高校3年まで浪速学院で学んでくれる生徒は通称「内部生」と呼ばれ、私は民間出身らしくその昔親しみを込めて「家の子、一族郎党の生徒達」と称したら人権派の教諭から「先生、それは些かまずい表現ですよ」と注意された事があったが、気分はそのような思いである。学校と言うのは実に「妙なるもの」があり、我々が入学を許可し卒業させた人々には特別な感情がある。わずか6年、わずか3年の間、同じ敷地にて時を過ごしただけと言うのに学校には「教え子」と言う言葉があり、教え子同士には「同窓生」という言葉がある。特に同窓同士には「絆みたいなもの」が生まれてくるから不思議だ。特に高校生の時の思い出は大きなものがあり、共に「クラブ活動」で時を過ごした者たちには「仲間意識」が強い。勉強が良く出来たもの同士と言うのは余り聞かない。

 今日久し振りに、その卒業生が学校に来た。串カツだるまの上山会長と俳優の赤井英和氏である。先に上山会長から電話があって「先生、ちょっと相談ごとがあり、学校に行っても良いですか」と聞いてくるので「良いよ」と返事すると「赤井先輩も丁度舞台が空いているので一緒に」となる。この二人は本校の卒業生と言うより本校ボクシング部の卒業生と言った方が良いくらいでとにかく仲が良い。在学中からつるんでいたらしいしが今や二人とも有名人であり、赤井さんが大阪に来ると何時も一緒だ。上山さんは大阪を代表する名所ミナミの道頓堀商店会の会長さんで今や東京や海外にも出店している串かつやを経営している有名なビジネスマンである。赤井さんは誰もが知っている性格俳優で今や人情ものの舞台でも欠かせない俳優さんで東京を拠点として活動している。



 

彼ら二人は私が入学を許可し卒業させた人々ではないが、事ある時にこのように私を慕い、話を聞きに母校に顔を出してくれるのは嬉しい話である。彼らにとっても「功成り名を遂げ」ても尚、40年くらい前の母校とのつながりは精神衛生上良いのだろうか、実に良い顔をして学校にくる。彼らが教育を受けた教師は今や誰一人として残っていないが、このように汗臭い、いささかやんちゃ過ぎた自分たちの男子校が今や女生徒がさっそうと走り回っている共学となった母校を見て、昔と大きく変容したが、「自分は浪速高校の卒業生だと堂々と名乗る」ことの出来る嬉しさと誇り高さの表れではあるまいか。学校というのは卒業生が胸を張って母校を名乗れる学校でなければならない。今いる学校管理者は何時も卒業生を温かく迎えてやらねばならない。学校管理者が有名になった卒業生に何かを期待するのではなくて学校が彼らに更に何をしてやれるか考えるのが正しい。私は何時もその感覚を忘れてはいない。