昨日納車された「新車オデッセイ(意味は“長い冒険旅行”)の「お祓い」に住吉大社に赴いた。高井宮司様が出迎えてくれて宮司応接室に案内された。久し振りの邂逅ということで話が弾んだ。私よりも6歳上で「泰然自若」、歳を取ったら、このような男に予てから成りたいと尊敬するお方である。こういうお方を「人物」というのだろう。宮司様は自らアイデアを出され作成された「扇子」を一本取りだし、私にくれた。「木村さん、ご苦労様。・・・大伴の旅人の歌の中でも私が最も好きな歌で自分の人生の集大成として今の生き方をこの歌から学びましたよ」と言われる。大伴の旅人は太宰府にて謳った歌が新元号の「令和」となったのは良く知られているが、このような歌もあったのだと今更ながら古人の心の豊かさを私は知ることになった。元来日本人の血には「余裕、ゆとり」みたいなものがDNAとして有るのである。
その歌とは「生ける者 遂にも死ぬる ものにあれば この世にある間は 楽しくをあらな」。(いけるひと ついにもしぬる ものにあれば このよにあるまは たのしくをあらな)意味は人間、生きる者はいずれ死ぬのだから、この世に生きている間は酒を飲んで楽しく過ごしたいものだであろうか。文献によればお酒が大好きだった旅人が大宰府に伴った妻と死別して悲嘆と失望にあり、酒でまぎらわせようとしたとあった。宮司様は更に続けて「この今を楽しく精一杯生きるというのは神道の根本的な考え「中今」と同じ事です。ご存知のように「中今とは神代の昔から今に続く時間の流れの中心点である今この瞬間を大切に一生懸命に生きていくという考え方ですね」と言われた。これだけをお話になり、ワクチンの2回目だということで急いで神社を後にされたのである。
その後昇殿参拝を許され、学校の為に祝詞を奉唱頂き、そして車のお祓いとなった。何と御奉仕頂いた神職は本校の卒業生で私が入学を許可し、卒業させ皇學館大學で学んだ生徒であった。いまこのように立派に社会に出て、住吉大社に奉職しているのである。ここにも神社関係者の心配りがあった。理事長が久し振りにお詣りに来られるから、「お前、今日は立派になったところを見て頂け」と言う具合だったのだろう。人の成長を見ることほど嬉しいことはない。教育と言う営為に従事させて頂いている幸せを感じる一時である。
今日は土曜日と言っても極めて多忙な日で中学校は「高天原スポーツキャンパス」で体育大会、無観客だが中学生にとって初めての「乾坤一擲ドリームフィールド」である。総勢380人の中学生が楽しい一日を過ごすことになる。コロナの中で鬱屈した思いもあるだろうが、今日は思い切ってストレスの発散を望みたい。使用するバスが12台で昨年までは学校のグランドで行ってきたが今年だけは例外で高天原で行うこととした。費用は掛かるが問題ではない。あくまで本校は生徒の為を思って行動する。高校は第1回オープンキャンパスである。遂に来年度の入学者を探す旅が始まった。4月に「ほっ」としたのも束の間、もう入試広報部は来年度に向かって動き出したのである。私は初めて新車を運転して中学生と一日を過ごす高天原に向かった。