2021年10月20日水曜日

宗教に学ぶ 大阪護国神社

 大阪護國神社は、大阪市住之江区にある神社で大阪府出身ならびに縁故の殉国の英霊105千余柱を祀っており、祭神の柱数は護国神社では沖縄県護国神社、福岡県護國神社に次いで3番目に多い。現在は神社本庁の別表神社である。別表神社とは東京代々木の神社本庁において、その由緒、活動、財政等を総合した面で顕著な神社が申請により指定される神社であるが、一言で言えば社格が高い神社である。例えば宮司交代時は皇居にて記帳しなければならない。住之江公園の南西に鎮座し、住之江通に面した正面鳥居は大阪府で最大の鳥居である。 


この護国神社と本学院は関係が深い。今年の夏には神社が催した小中高生たちの為の「絵画展」の審査で本校の美術科の先生が担当し、その仕事ぶりを高く評価されている。今日、それが提灯になって飾られていることに気付いた。又9月21日の世界平和デーでは書道部の生徒が「平和祈願の奉納書道」を行っている。神社神道の学校としてこのような機会を与えられることは教育機関としては嬉しい話で今後ともご厚誼を続けていきたいと念願している。私は今の宮司さんを含め、歴代3人の宮司様とお付き合いがありいずれも人格者であり立派な方々である。どうして神社の宮司様はあのような高潔な品格があるのであろうか。学ばねばならない。 



大阪府では、護国神社の前身として1871年(明治4年)410日に創設された真田山陸軍墓地の敷地内に「招魂社」が創建されたのが最初である。一時期「浪速宮」と称されたこともあった。紆余曲折があり、日中戦争勃発後に英霊崇敬の機運が高まりを見せたことから、1938年(昭和13年)に大阪府知事が奉賛会長として護国神社造営奉賛会を結成し、創建予定地である住之江公園の南西の低湿地を、府民のべ約36万人が勤労奉仕で約2年かけて埋めたてて、内務大臣指定護國神社として創建されたとある。1970年(昭和45年)715日に昭和天皇と香淳皇后が親拝され、1978年(昭和53年)531日には明仁上皇・上皇后美智子様が参拝されている。


今日は「秋季例大祭の日」であり、ご案内を頂き、たまたま時間に余裕があったので参列させて頂いた。歴代の宮司様で一回だけは行くようにしているから今回で3回目となる。この神社のご祭神はNHK大河ドラマ「青天を衝け」ではないが明治維新の魁となられた天忠組を始めとし、先の大戦で散華された御魂を含め105,665柱の国難に殉じられた英霊をお祀りする神社である。今でも一年を通じて沢山の参拝者が訪れ、広い境内は府民の安らぎと祈りの場として親しまれている。大和民族の誇りと歴史や伝統を英霊への感謝の心と共に永遠に継承していく事は、日本人として誠に大切な事だと考えている。先人の敬神崇祖を継承し、世界の平和を祈願する拠り所として今後とも神社仏閣は大切であると生徒には伝えていきたいと思う。 

「宗教を忘れた、宗教を教えない、学ばない、宗教を忌み嫌う」国であってはならない。帰依する帰依しないではない、宗教を知ると言うことである。人は宗教を知り、学ぶ事によって謙虚になれる。それは私の信念であり信条だ。ミッション系であれ、仏教系であれ、神道系であれ宗教を創立の原点に持つ私立学校の存在は極めて重要ではないか!今日このようにして神社の社頭に立てば何故か心が洗われる。