2021年10月28日木曜日

私が求める新時代の英語教師像

 お陰様で学校は順調に進んでいる。高校生徒のワクチン接種も既に接種率が52%になっている。学校は基本的に直接関与していないが保護者の関心の高さが伺える。国民の接種率が70%を超えているから集団免疫というのか感染者は激減している。このまま推移すれば第6波は無いのではないかという楽観的希望を有しているが先のことはサッパリわからない。ただやるべきことを着実にしていく毎日である。9月3日の「大阪880万人避難訓練」が台風の影響で中止されたことが気になっていたが、広い校舎群で生徒には自身の退避通路を確認させる必要があると高校長の判断で学年別であるが本日6限目に実施した。不測の事態に備えることを教えることは重要な事である。その集まった3年生を卒業アルバムに使うと言ってドローンを飛ばして写真を撮るという。学年主任が呼びに来たので私もその中に加わった。この学年は私が入学を許可した最後の学年であり、これで一区切りの思いが湧いてきた。


 今日も「公開授業」があった。4限目に英語のN常勤講師、女性の先生である。堺のお生まれ、市内の有力な私立高校から京都の大学に進学された、学部は国際学部グローバルスタディズ学科の卒業であるから英語教育の本質を学んでこられた。在学中に米国カリフォルニア州立大学に留学されている。英語教育の本質的な目的は「国際理解」であろう。その為の「英語はコミニュケーションツール」である。受験英語の勉強ではない。新卒で本校に来てくれた。有難いことであり私には採用責任が重くのしかかっている。履歴書にはTOEICIPテストで745点のスコアであったが業務の傍ら更に自己をブラッシュアップするためにトライし現在850点まで獲得されている。この点が素晴らしい。静かな頑張り屋さんである。



授業そのものは素晴らしかった。一言で言えば生徒に親切である。「分からせよう、今日はこれだけは覚え込ませたい」との気持ちが随所に出ていた。題材も授業の進め方もよくよく考え設計されていた。授業の90%は英語、10%はわざと日本語を残したハイブリッドの授業だった。これで良い。後は50分授業の振幅の取り方だと思う。同じ周波数の授業から起伏に富んだ展開で求心力を高めるのが理想であるがまだ新卒で3年目、今後に大いに期待致したいと思う。後刻私の部屋で様々な視点で言葉をかけた。

 英語教師だ、生徒に英語を教える英語教師が「生きた英語を使えないようでは話にならない。」これは私の強い信念である。自分の選択した専門職が英語の教師であり、その道を歩むために毎日毎日、生涯に亘って勉強して行く姿勢こそ「教師の尊い姿」である。その昔の英語教師は何も知らない生徒に対して、さも偉そうに無茶苦茶な発音で板書にスペルを書いて一見英語を教えてやっているような雰囲気を醸し出す似非英語教師が幅を利かせていた時代があったが、今後を考えると今のままでは大きな問題と日本の施政者は認識した。勿論本校にはそのような先生は居ないが。とにかく中学3年、高校3年、大学で4年と通算10年も英語を学び、それでも不足と今や小学生にも教科として英語が入った。それでも日本人は英語が話せない、聞き取れない。学校の英語の先生がそうなのだからましてその先生から学ぶ生徒が出来る訳はなかろう。その点今日のN常勤講師の先生は是非本校の専任教諭でお迎えしたいと思った。生徒に親切で謙虚だ。「生きた英語」を教えることが出来る。

私は若い時にニューヨーク勤務の経験があり、今でも和製イングリッシュ、これを私は「ジャングリッシュ」と呼んでいるのだが、下手でも英語は使える。従い日本の英語教育の限界を肌身で感じて知っている。それゆえに私のテリトリーでは英語教師にTOEIC,TOEFLなどの「資格認定とICTを重要視」しているのである。もう古いタイプの英語教師は本校には要らない。英語教師だけではない。昔のセンター試験、今の大学入学共通テストのような、日本全国の高校生の平均点が60点の基礎的な問題が解けないような数学、国語、理科、社会の先生と言われるような人がまかり通っている学校は変だ!少なくとも本校には要らない。ワクチンではないがメリットがデメリットを上回ると弁護する向きもあろうが「教科を教えるのが学校」であり、幾ら真面目だろうとも、イケメンだろうとも部活動指導が凄いと言っても私はご免被る。