「日乃本の國に生まれし 身のほまれ 勵め 徒とめや この學び舎に」
今から40年前の本校創立40周年に伊勢神宮祭主様であられた北白川房子王女様から本校に贈られたお歌である。房子様は明治天皇の第7皇女であり、後に初代の神社本庁総裁、伊勢神宮奉賛会総裁であられた。房子様直筆のこの歌詞を乱雑に物が溢れかえっていた新校舎建設前の古い校舎の倉庫の奥で見つけた私は驚き慄いた。そしてこの「宝物」を、直ぐに洗い、表装し、これを「学院和歌」とした。狙いはこれを学院神社に奉納する「神楽曲」とすべく平安時代から続く楽師家系の元宮内庁楽師長の豊英明先生にお願いして曲を付けて頂き、合わせて「振付」も頂いた。これを「尚学の舞」と名付けた私は以後今日のような新春拝賀式とか春季・秋季例祭で本校雅楽部の演奏で本校神楽部が大神様の前で舞って貰う様にした。もう随分昔の事になったが今でもあの時の興奮を思い出す。
今日の新春拝賀式は自前の神職が全てをご奉仕する。実は本校には実家が神社であり、皇學館大學で学び、神職資格と宗教教育免許を有した本チャンの神職が3人おり、実家がお宮ではないが神職資格を有する教諭がその他に2人いる。これら全ての神道科の教諭を私が育ててきた。当初は現在高校教頭になっているM先生だけの僅か1名で「この先の不安」は尋常ではなかった。必死で探し採用し育ててきた。もう安心である。拝賀式の後、部屋に来た彼らに私は「未来永劫、どんな事があっても神社のお祭りには手を抜いてはならない!」と厳しく諭した。これをおろそかにするようになるとそれは「本校転落の始まり」だとも言ったのである。学院神社の大神様あっての浪速学院であり、最重要であることを忘れてはならないと強調した。一つの遺言である。
新春拝賀式とは、3学期の始業式の前に行う、云わば学院神社への全校生徒・教職員の「初詣」であり、このような日は少しくらい肌寒い方が良い。ただ受験を控えている受験生を寒風にさらす訳には行かないから教室でのリモートに拠る拝賀とした。徹底的に時間短縮を図り御斎行出来た。雅楽部の奏でる尚学の舞の曲に合わせて舞う4人の神楽部の女生徒は「凛として」大変に美しく立派であった。
その後「学院長講話」となるのだが、当然オミクロン株から話を展開し、高校3年生、中学3年生の受験生への激励を行った。最後は「何事に対しても興味、関心を持つ」ことの大切さを諭し、両校長が執行する始業式へとバトンを渡した。もうこの歳になると「これが最後」と思い、ついつい話がくどく、話が長くなるので、これだけは気を付けているのだが2500人の生徒の心に訴える口説き、説法、説話、講話はそう簡単なものではない。しかし諦めたら終わりだから、私は生ある限りこの学校の生徒と教職員に「思いのたけ」を今後とも訴えていく。それが私の仕事であり責任である。令和4年、良いスタートが切れた。