今日は「第74回目となる浪速高等学校の卒業式」があった。私が着任して以来、正式には「卒業証書授与式」と呼称している。会場入りは卒業生710名の生徒のみで保護者はリモート参加にして貰った。私立でも公立でもおよそ学校と言う組織体で最も重要な儀式が卒業式だ。この荘厳にして厳粛な式典を執行する「学校長の職務」について私は大きく4つあると考えている。①まず入学を許可する権限②校務を運営し教員を指導監督する権限と責務③生徒の教育と懲戒に関する権限④進級と卒業を認可する権限である。この中でも卒業式こそ校長先生の成果と責務の集大成である。「式辞」と称する卒業式での最後の講話は「校長のみに許された権限である。浪速高等学校長の飯田先生は就任以来2回目の卒業式であり、この学年は私が入学を許可し飯田校長が卒業を認可した。校長引継ぎ過程での最後の卒業式となったと言える。
卒業したこの学年は平成最後の年、平成31年4月4日に入学し、2か月後の5月1日に御代替わりとなり令和元年の生徒となった。しかしその年の暮れから世界をコロナが襲った。パンデミックでありそれは今も続いている。令和2年4月に校長に就任した飯田校長は先頭に立ってコロナから生徒を守り、学校を守って今なお闘ってくれている。校長になってから2年間、とにかくコロナに振り回され続けた2年であり、大変だったと思う。しかしまだまだ2年だ。必ずこれから先良いこともある。彼は今から100年前の初代大里猪熊校長以来13代目の校長となる。私が12代目で13年間務めた。そして飯田さんにバトンを渡した。生徒を愛し教職員を大切にして、まず自分の健康に気を付け、長く務めて欲しいと思う。私が見込んだ通りの人物であり、校長の後継者として最良の人物を得たと確信している。これだけで私が描く将来への不安の一つが消え去っている。
卒業式は校長の権限と責任で実行されるものであるが、ここは私立学校であり、この学校の「学校設置者」として出席の義務がある。そして単に椅子に据わっているだけではなくて仕事がある。ちなみに公的な私宛の郵便物は学校設置者宛というのと理事長宛の2種類がある。理事長というのは学校法人の理事会を総理する職務上の役職であり、「設置者はこの学校を設置している人」とういう意味で区分されている。分かり易く、プロ野球の例で言えば設置者は「球団オーナー」に相当するものと考えられ、理事長は球団経営の社長職であり、校長は球団のジェネラルマネージャー兼監督といったところか。従って学校は直接生徒や先生方に関与する校長先生の職位が極めて重要であり、「学校は校長」「校長は学校の顔」なのである。
今日の私の仕事は「木村賞」の授与であった。式次第で司会の教頭補佐から次のような案内があった。気恥ずかしいが紹介しておこうと思う。「次に学校法人浪速学院から特別褒賞の授与があります。本学院理事長・学院長の木村先生から授与されます。この賞は令和元年から新設された賞で在学3か年間が学業成績、生活態度が優秀で他の模範であった生徒1名に対して授与されるものであります。褒章の名称につきましては平成19年より学校改革を押し進め、本校を飛躍的に発展させられた木村先生のご功績を後世に残すために我々教職員からお願いし理事会で承認され誕生しました。本校表彰制度の中で最高位の賞となります」とあった。「賞状と褒賞金の授与」が私の仕事だ。卒業式の後、学院神社の前で保護者と共に記念撮影をし、後日額装してプレゼントするのが恒例となっている。木村賞となって私の名前が将来にわたってこの学校に残るのが気恥しいが嬉しい。名誉なことだ。
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