浪速中学校入試が始まった。遂に始まったという感じだ。1年の過ぎ去るのが早い、早く感じて仕方がない。今日と明日は1年振りに受験生を迎え、粛々と作業が進む。もう何十年も同じような光景が広がるが、ここ15年は特に「やりがい」を感じる瞬間である。それは右肩上がりの時代だったからであろう。少しずつであったが生徒数は増えて来た。義務教育である中学校教育で公立中学進路を避け,敢えて私立中学受験に向かう受験生とその保護者、同時に迎える側の我々側にも一種独特な緊張感を主体にした雰囲気が漂う。「かっちりとしたマニュアル」通りに「至誠」で以って作業が進む。今日は1次A入試、夕方16時からはⅠ類選抜A入試とWEB合否発表の夜22時頃まで作業は続く。
夜暗くなって必死になって問題用紙に取り組む小学校6年生の姿を見ると私は何時も胸が詰まる。「頑張れ」と口には出さずその背中に声援を送るのだ。私は自室でじっと試験開始時刻を待つ。入試広報担当の管理職が受験参加者数と欠席数の報告に来てくれた。これを受けて私は常務理事をと共に中学生の入っている「西館」周辺を歩いた。目的は「極めて大きな経営判断」をする為である。仮に「別館」と名付けておこうか?或いは「新西館」がよいか?どうも「新校舎=別館」を増設する必要が出てきたぞ!と「神の声」がする。それも令和5年4月入学式までに完成させなければならない。背景には想定以上の速さで学校が膨張して行く実感がある。一言で言えば「教室数が足りない、不足する可能性」が出て来たのである。
「大は小を兼ねる」という言葉はよく使われる。私の基本的生き方みたいなものである。より大きく、より多く、より早くだ。大きいものは小さいものの効用も併せ持っている。大きなものは小さなものの代わりとしても利用でき、小さいものの役目もすることができると言う意味である。この言葉は昭和42年頃テレビコマーシャルで大変有名になった。髭の音楽家、山本直純さんを起用した森永のエールチョコレートの宣伝文句の「大きいことはいいことだ」だった。現在の中央館、東館はまさに大きいことは良いことだと余裕を持って造ったが、それがもう建設後5年で余裕が無くなって来たのである。
現在の中学生が入っている西館は老朽化が進んでおり、遅かれ、早かれ7、8年後くらいには建て替える積りでいた。その時は西館に置き代わる「浪速アリーナ」であることは既に機関決定している。しかしその工事期間中に中学生を入れる教室を今、作っておくことが得策だとここ数日考えるようになった。それは「玉突き現象」がなせる技で、とにかく高校生の数が膨張し続けているのである。高校生を入れる教室が足りない、それは中学の教室を圧迫しかねない、中学も牛の歩みであるが大きくなりつつある。学校が大きいことは良いことだが収容する教室があってこその話である。教室が不足していますからと言って合否判定基準をそう簡単に見直す訳には行かない。生徒募集に頑張ってくれている入試広報部にこのような事をさせてはならないと強く思っている。これを下手にやると今までの努力が一瞬にして水泡に帰す可能性がある。「禁じ手」である。
色々と頭を回転させて考えを巡らす。その結論が然らば思い切って「新校舎=別館あるいは新西館」を豊臣秀吉流の「墨俣の一夜城」のように今から1年間で校舎を作るか?との思いが徐々に膨らんでくるのだ。新校舎を一棟作るとしたら、その場所は何処が最適か?最適な教室数は幾らか?今日、常務理事と周辺を歩きながら更に考えを深めている。しかし時間的に余裕はない。私は17日月曜日に電光石火で動き最終結論を出す積りである。極めて大きな決断である。