24日土曜日に開催された「高校の第1回入試説明会の詳細報告」を入試広報部のK教頭とS入試広報部長から受けた。既に概略は現場にいた私は把握していたが、はやり「フェース&フェース」で資料を観ながら目と耳で頭に入れるのは違う。私が見ているのは管理職のK教頭と入試広報部長のS先生の「仕事への向き合い方」である。この二人は大切な人材で、私は彼らの現在、過去、そしてこの二人の将来を何時も考えている。基本的にはお二人とも優秀であり、それ故に現在の職位にある。しかし、何時も私からの小さな小言、指導の言葉が途切れない。経験不足からくる視野の狭さ、見方の浅さ、熟慮の不足、要はまだ身についてない管理者としての「総合的センス」の不足かも知れない。私のハードルは高い。低くしたらそれでその人は伸びない。
前回のアンケートから私が指導し、導入した例えば「動画の多用」は参加者から「評価されて初めて知ることになる。今期も早速反応が有り「動画の多さに驚いた」「動画が多く使われていて分かり易かったです」等々だ。これこそ「指示待ち族の典型」である。要は全体を俯瞰し、自己でPDCAのサイクルを回すことが出来ないのである。上司の指示を待つこと程楽な事は無い。男性女性に関わらず、自らPDCAのサイクルを回すには肝が据わっていなければならない。これが「胆識」だ。組織内にあって組織の外に出る勇気だ。外からしか内は見えない。先週の土曜日の拡大管理職会議で言ったこと事も実はこの事だ。管理職は時にアウトサイドに立ちインサイドを眺めよと。
今日は「たんしき」と言う言葉と「がらすのてんじょう」という言葉について思う処を述べてみたいと思う。「胆識」、「ガラスの天井」と書く。胆識とは「決断力と見識」を表し、実行力を伴う見識を指す。一般には余り使われて言葉だ。ガラスの天井とは、女性やマイノリティが能力や実績にかかわらず、見えない組織的障壁によって上位職への昇進を阻まれる現象を指す言葉で、1978年にマリリン・ローデンが初めて用いた概念である。こちらは良く使われている。主に主に女性の昇進阻害を説明する際に使われているが、最近ではマイノリティ全般にも適用されている。
少なくとも管理職と言う組織管理に当たっている人には胆識を求めたい。しかしどうも学校の管理者の中には程遠い人物もいる。仕事の大半は胆識がそれほどでもなくても大概の場合は優秀な部下が業務を上手くこなしているものだが、管理職が出番の「乾坤一擲の勝負の時」に胆識の薄い管理職の言動は私を大きく落胆させる。案外と女性に肝のすわった人は多いと感じる。 又本校におけるガラスの天井問題は全くないかと問われれば、正直言って「ありますね」と頭を垂れて認めざるを得ない。それを「もともと数が少ないから」などと反論しても意味はない。「優秀な人材が少ないので・・・」とかも人材候補を採用し、育てるという行為が薄かったと言われればそれまでである。
自分で言うのもおかしいが私は常に胆識とガラスの天井の破壊は心にあるテーマだ。特にガラスの天井を打ち破るために何もしなかった訳ではない。特に女性にはジェンダーと無関係に男の仕事中心的な生き様に対して、その他多くの降りかかる身辺の要因が多いのは事実である。今2人の女性事務職員が居られるが人物、能力、立ち振る舞い、全てに亘ってほぼ私どもを感服させる人材であるが、この方々には時間的自由度が最優先事項であり、何回も、執拗に、まず専任職員への採用を持ちかけて来たが固辞された。仕方なく我々は無期限雇用職員として現在に至っている。又優秀な一人の専任教員が居り、立派な先生であり、過去何回も管理職への道を向けたが「自分は生涯、教師で教壇に立ちたい」との希望に揺ぎは無かった。
何とか女性が学校という職場で組織管理の管理者として活躍する浪速学院の時代を見据え、勇気を持ち、今後とも女性登用を果断に進めて行きたいと思う。本校で女性では駄目、女性は不要などの職場は一切無い。入試広報部長が女性であっても決しておかしくない。事務長が女性であっても決しておかしくはない。本校でも校長先生が女性である時代が早く来て欲しい。逆に女性陣にも申し上げたい。自己啓発を進め、覚悟を決めて組織を束ねるリーダーを目指して欲しい。天空レストランフードコートのレストラン部門も焼き立てパンコーナーも管理者は元来女性の方が向いており、その為、副店長を「外部委託の方式」で今実験中だ。成果を上げてくれており、校内で居ないなら外部から持ってくるしかない。ガラスの天井を打ち壊すのはまず自分の気概からではないか。頑張って欲しいと思う。本校では受け皿は完備しており、又天井に張られた素材にガラスはない。