2019年6月16日日曜日

豊英秋先生と浪速高等学校


「瑞宝双光章」とは我国の勲章の一つで、 瑞宝章は、明治21年に制定されている。公務等に長年にわたり従事し、成績を挙げた方に授与されると物の本には書いているが、勲位としては五番目だから相当なものである。元宮内庁首席楽長「豊(ぶんの)英秋」先生も叙勲されたお方である。豊を「ぶんの」とは普通は読めない。この豊家(ぶんのけ)は何と、何と平安時代からつづく御家柄である。昭和19327日のお生まれで、「笙(しょう)奏者」、昭和40年宮内庁式部職楽部の楽師となり,のち主席楽長。雅楽演奏団体「十二音会」の代表で、平成21年長年にわたる雅楽演奏家としての業績で芸術院賞も受賞されている斯界の第一人者である。

 
 



 皇室や国賓のために雅楽を奏でる宮内庁楽部の楽師を40年以上務めてこられ、とにかく平安時代から長く、長く雅楽に向き合って生きてきた御家柄である「楽家」の44代目としてお生まれになった。平清盛が活躍した時代から44代目ですよ!私などは木村家の何代目なのかもさっぱり分からないし、「何処の馬の骨」かも知れないが、先生の家系はとにかく、ちゃんとした正確な家系が伝わって来ておられる。世の中にはそのようなお家もあるのだなと私はつくづくと感じた事がある。12歳で宮内庁楽部に入り、修業を積み、17本の竹で和音を奏でる管楽器「笙しょう」の技を継承され、子どもの頃は祖父の厳しい特訓が嫌でたまらなかったとおっしゃっておられる。

 


楽部時代で印象に残っているのは何ですかとお聞きすると、酔っぱらいを演じる舞で観客を笑わせた時のことで、皇族も見つめる緊張した雰囲気の中、1人が噴き出し、笑いの輪が広がったらしい。後に上皇后美智子さまから「あの時の舞はもうおやりにならないのですか」と声を掛けられたことは最高の思い出だと口癖のように言われている。6年前に楽部を引退後も、国内外の演奏会に参加しておられ、このチャンスに私は本校雅楽部へのご指導をお願いした。まず今から3年前、新校舎が竣功した時に神楽部と雅楽部に不詳私が付けた名称であるが「尚学の舞」の作曲と振付をお願いした。

 
 



これは今から50年前、本校の創立40周年に伊勢神宮の祭主様である北白川房子様から「日の本の 国に生まれし 身のほまれ 励み努めよ この学び舎に」のお歌を雅楽と神楽舞にして頂いた。こういうものは第一級の斯界の第一人者にお願いしなければならない。私はそのように考えて実行した。それ以来、本校は年に一回は来阪して頂き、親しく生徒に接してご指導頂いている。ネットで「豊英秋」と検索すると本校の名前が出てくるくらいのご指導会である。本日はその指導会なのである。このブログもひょっとしたらでその内に出てくるかも知れない。

 


運動部も文化部も指導者によるというのは何方も言われることであり、全くその通りである。時にはその分野での経験が無いからと言って駄目な指導者とはならない。本校でもそのようなクラブの顧問が大勢いるが、素晴らしい戦績を上げてくれている。勿論確かな技術と指導力があれば言うことはないのであるが、要は「最後は人間性」に行きつくのではないかと私は思っている。豊先生は人格全てに素晴らしい先生であり、ユーモアもあって生徒の人気も高い。指導会の後は顧問の先生と共に先生を囲み、お肉とワインだ。先生はワインがお好きで、又「通」であられる。今晩も先生と一緒に楽しい時間を過ごしたいと思う。



何と朝日新聞が本校の雅楽部を取り上げて大きな記事にして頂いた。嬉しい。朝日だからこそ嬉しい。