2022年4月9日土曜日

「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」

 「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」という言葉がある。意味はご存知のように、背負った子どもに浅瀬を教えてもらいながら川を渡るが直意で、自分より年少の未熟な者に教えられることのたとえである。簡略版で「子どもに教わる」とか「子どもに教わった」とかで使うこともある。実は昨日、我々は「生徒に教わった」。元来教えるべき立場の学校の教職員が教えられる立場の生徒から指摘さえ、気づかされ、学んだのである。我々の思慮不足、不注意、不用意だったある事象を一人の中学1年生から「先生、少し違うのではないですか?」と教わったのである。 



昨日は新入学の中学校1年生133人が2グループに分かれて、オリエンテーションの一環で校外施設である「多聞尚学館」「多聞イチゴハウス」「多聞果樹園・農園」「多聞楽舎」に行ったのだが、この事案は多聞楽舎で起きた。この場所の二人の契約職員である管理人が見学を終えた生徒に「一人一個」のイチゴを三ツの容器に入れて「盛り上がった状態」で出したところ、一人の生徒、まだ顔はあどけなくて小柄で子供、子供している男子生徒らしいが、「先生、ここから一つ取るのですか?」と怪訝な顔で聞いたと言うのだ。そう、この生徒は山盛りのイチゴから多くの生徒が順番に手で取っていく作業にコロナ感染予防との関連で何かを感じたのである。ご家庭や様々な場所でご両親などから指導を受けていたに違いない。この一言で二人の担当者は「顔色を変えた」という。 



「まずかった!」と反省し、急遽近くのスーパーへ走り、お菓子などを入れる紙の容器にイチゴを一個づつ入れ、それを後半のグループから出したと言う。加えて指の消毒液も用意した。この事案などまさしく「負った子に教わった」事例と言えるのではないか。後半のグループから様子を見に行った私はこの話を聞いて満足した。「敏感に」対応した教員と管理人を誉めたいと思う。こういう生徒と教職員集団が居る限り、浪速中学校はますます良い中学校になる。オリエンテーションは大成功で全てのピッカピカの中学1年生は歓声を上げて「大きくて、甘いイチゴ」を一個ではあるが堪能し、中には「先生、一個だけなの?」とねだる生徒も居たが全員無事に楽舎を後にした。見送った管理人にバスの窓から大きな声でイチゴのお礼を言っていたと言う。それにしても中学生は可愛いが対応には疲れる。二人の職員も私もぐったり。これだけでも中学の先生方には頭が下がります。