2022年10月14日金曜日

井戸茶碗「銘 喜左衛門」さんに会って来た❗

 「日本文化の粋を集めた茶の湯の歴史」をたどる特別展が10月8日から12月4日までの間、京都市の東山区の京都国立博物館で開幕されている。この「粋」と言う言葉が素晴らしい。「粋な男!」「粋な女!」は最高の誉め言葉ではないか。主催者側の読売新聞が10月4日に大きく報じている。企画名は「京(みやこ)に生きる文化 茶の湯」とあった。戦国時代に形が完成したお茶は名だたる武将や茶人が称賛した「国宝の大井戸茶碗銘 喜左衛門」を始め250件の名品揃いが陳列され、うち約4割が国宝喜左衛門をトップに重要文化財クラスである。京都在住の表千家不審庵、裏千家今日庵、武者小路千家官休庵、藪内家燕庵の4家元が特別協力されているこの企画は滅多にはお目にかかれる代物ではないと思い、井戸茶碗大好きの陶芸を趣味とする友人と共に朝から京都に走った。 


中世から近世にかけてまず「唐物」と称される茶碗の内、これまた国宝の「曜変天目」から、「高麗茶碗」と称される名品を味わう幸せを感じる。中でも朝鮮半島伝来の高麗井戸茶碗は室町時代以降、特に愛用され、「大ぶりでその姿形は何とも言えない存在感」を放つ。その頂点に立つのが「喜左衛門」だ。私は今から30年くらい前の時に初めてこの茶碗を見た時の感動を今でも覚えている。あれから2回目のお目見えとなるが恐らくこれが最後の機会かも知れない。たった一個の茶碗であるが、とにかく作風は見所たっぷりで、「見込」「高台の梅花皮」「ろくろ目」「竹の節高台」など武骨っぽく、ゴツゴツと男らしい茶碗だ。だから戦国武将に愛されたのかも知れない。特に私を魅了するのはその見事な「枯れっぷり」であり、それでいて「力強い姿を保っている」ところである。こういうところが粋だと思う。喜左衛門に比べ自分は未だ枯れっぷりが悪い。 



国宝たる所以は希有なストーリーにあり「竹田喜左衛門-本多能登守忠義-寛永11年・中村宗雪-寛延4年・塘氏-安永年間・松平不昧-文政5年・孤篷庵」と名のある茶人の手に渡り、最後は大徳寺弧蓬庵に納められた。このお茶碗を所有するとブツブツと体中に発疹と言うか「おでき」が現れることで有名なお茶碗で、最後の個人所有者である松平不昧公もブツブツに悩まされ、夫人が大徳寺に寄進したとか。お茶碗など個々の欠点など言っても詮無いことで最後は「手に取ってみて全体の景色良ければ全て良し」だと思う。東京の国立博物館の「銘 有楽井戸茶碗」も素敵な茶碗でファンが多いが、こちらは常設展示で何時も拝見出来る。しかし喜左衛門だけは開陳する間の期間が長く、今回の機会を逃せば後は無いと思い、第二京阪を飛ばし往復したのである。そう、私は恋焦がれる喜左衛門に会い行ったのである。 


朝9時に出て2時には学校に戻った。京都は近い。久し振りに京都で良いものを観て目の滋養になった。少し粋な感じを身に付ける事が出来たか?粋とはさっぱりした気立てで、あかぬけがし、色気もただよう、そういう感じのする身のこなし・様子の事で、「すい」とも読む。人情の機微が分かり、趣味に通じ、さばけているさまで、「粋な計らい」と言う言葉がある。「枯淡の境地」だ。対義語は「野暮」であるがやはり「野暮より粋が良い」。「井戸茶碗はとにかく多くあるが全てが男っぽくて粋」だった。今回の参観で喜左衛門は特に枯淡の境地にある最高なお茶碗だと再確認し、「枯淡の境地、自分もかくあるべし」と反省しきりだ。そして新たに本日の参観で「筒井筒」が妙に心に入って来た。この茶碗も身震いするくらい素晴らしかった。今回初めて見ることが出来た。豊臣秀吉所蔵の逸品である。