2022年10月17日月曜日

千早赤阪のだんじり祭りと100周年記念 奉祝祭、どちらもお祭り?

 もう、ほぼ終盤であるが9月、10月の今の季節、全国各地で季節ごとに行われる、地域の小さな祭りや大規模なお祭りなど、とにかく「日本にはたくさんのお祭り」がある。神社神道の学校として私はこれらのお祭りを極めて大切に思っている。日本文化の保持の為にも必要な事だし無くしてはならないと強く思う。本校でも9月中旬に「浪速祭」というお祭りをコロナの為に変形型とはなったが一応行った。ところで本校は南河内郡千早赤阪村とは縁深く、この地には「建水分神社(たてみくまりじんじゃ)」という有名な由緒あるお宮さんがある。大阪唯一の村である千早赤阪村のこの神社に、秋の実りを感謝するお祭りとして奉納される御神輿渡御祭が「千早赤阪村だんじり祭り」で、周辺3市町村(富田林市、河南町、千早赤阪村)の各氏子地区から、20台近くの地車が宮入りするお祭りが先週末14、15、16日と晴天の中で行われた。 





都会の喧騒から離れた「のどかな村」が、お祭りの日は大にぎわいになり、神社から約1km下の御旅所へ曳行し、全地車が参集した風景は「河内随一と謳われるほどで壮観」である。式内社で、旧社格は府社、通称は水分神社。古より「金剛山の鎮守」として、また、大楠公生誕の地として「楠木氏の氏神」として崇敬されている。最近では初詣の神社はこの水分神社にしているくらい私は尊崇しており、勿論だんじり祭りの「お花代」も出している。このお花であるが江戸時代より続く風習であり、元は祭り事があった際に芸妓さんや芸者さんなどへのご祝儀として渡されていたものである。それが現在は、祭りの準備などをして下さる方々へのご祝儀として渡されるようになり、本校とご縁の深い森屋地区のお祭りへのお花を出さない訳には行かない。関西では岸和田だんじりを筆頭に、お盆やお正月はさておき「祭りの日だけは必ず帰ってこい!」というほど熱が入った地域もあり、この千早赤阪村もすごい。



今日は月度一回の安全衛生保健委員会がN産業医のご出席の下あった。その後引き続いて職員会議であった。学校は順調に歩んでおり特段大きな問題、課題はないが、来年度は創立100年の大きな慶事が控えており、これから始まる本番入試に向けての周到な準備とプレゼン、特に入試問題については細心の注意で「凡ミス」のないようにと指導した。「創立100年目に入学してくる生徒の選抜試験」だ。人間故に時に凡ミスはあるものだが、チームによる総合力で抑えることは可能である。凡ミスとは不注意から起こる間違いであり、ケアレスミス・目溢し・見落とし・見落・目こぼれ・目こぼし・目溢・見落し・粗忽・目溢れ・粗相など同義語は多い。それくらい人間は凡ミスからは逃げられないのだと思うが、それでも努力で遠ざけることは可能だ。プロの教師が入試問題で外部から笑われるようなミスはあってはならない。 

先般の職員会議で私がお願いした来年度の「創立100周年記念事業の新中学校校舎建設」の教職員からの寄付金であるが、既に事務長にドンドン寄付金が来ていると報告を受けた。人それぞれに思いがあって金額は異なる。それが当たり前であり結構である。それにしても12月末が期限としているのに不思議な現象だ。又教員一律とか誰かが代表で渡すとかは有り得ない所業だ。町会費とか入会金の類ではない。職会からまだ日も浅いのに、これほど「嬉しい」事は無い。来年の4月30日には「100周年記念奉祝祭」を行うがこれも「お祭り」である。これらの浄財を拠出してくれた教職員には心から感謝申し上げたい。ただ理事長・学院長から言葉だけで「有難う」で済ますような組織管理者ではない。自分と家族の生活がある中で「学校の一大慶事」にお祝い金を出してくれる「学校への感謝の気持ち」「お祝いの気持ち」としてのいわば「寄付金」「ご祝儀」「お花代」、言葉はどうでも良いが、これらの「返礼」についてどのようにすべきか考えているところだ。私からの「お返し」も大切な日本文化である。「ただどり」するような野暮な理事長ではない。