2022年10月6日木曜日

浪速中学校の校長先生は理事に昇格

 「電光石火(でんこうせっか)」という言葉がある。稲妻の光や石を打ったとき出る火の意から、動きが非常に素早いことの例えである。仕事と言うのは全くその通りで「ちんたらちんたら」して時間を掛けたら、良い結果が出るとは限らない。逆に素早く動いた方が良い結果を見ることが多いというのは私の経験則だ。しかし成果を得るためには常日頃から「頭で考えて」おく必要がある。「ボーッ」としていて何も考えず、突然に電光石火に動いても結果は的外れの無残な結果に終わるだろう。特に人事などは常に頭において「口に出した時」に全ては終わっていることが要諦である。我が長い人生で得た教訓である。 

本法人の現役員任期は明年の3月末で切れる。従って私はここ1年くらい来期の役員体制をどうするか秘かに考え、考えていた。そして一昨日、朝から電光石火の如く動いて、関係者の了解を得るべく校外に出掛けたり、電話したりし、全て纏まった。理事と監事と評議員総数で36人にもなり、何方にお願いするか、考えておけばこそ早く纏まる。来期は4月30日が「創立100周年」を迎える節目の期であり、基本的に現役員には続投をお願いした。しかし生徒数も増え、益々社会的責任は大きくなったと考え、「理事と評議員数は若干名増やし」、多くの声を得て学校法人の責任を果たすのである。公益法人の理事会・評議員会の役員は名誉職ではなくて大きな社会的責任を負っている。勿論私は理事長・学院長として続投し100周年を見事に成功させる積りであり、12月理事会に諮る。 


次期役員の大きな特徴は「中学校校長職を評議員から理事に格上げ」したことである。「高校校長は理事なのに何で中学校校長は評議員なの?」との声が聞こえて来たわけではないが、永い間の私の懸案事項であった。これには歴史的経緯があって、その昔は本校では高校校長が中学校長を兼務し、名刺には「浪速中学校・高等学校 校長」と書いていた。実は私も6年間も高校と中学の校長の両方を経験した。当時は中学校長は理事会では無役であったのを私が評議員に上げた。浪速中学は高校の併設校ではあるが、「付随物」ではない。しかし学校改革の前は一クラス体制が6年間も続くなど「苦難の歴史」を辿ってきたのである。しかし中学校関係者の「涙ぐましい」努力が実を結び、中学もその規模が大きくなってきて今や4クラス体制となり公立中学と肩を並べるか、超えるところまで来た。現在生徒総数は400人であり、高校の2200人を加えると、一人の校長では細かな管理は出来ない。

元来、浪速中学生は6年間も本校で学ぶから、学校に与える影響度合いは高校3年間の2倍である。しかも高校生に比べ中学生は幼く、それだけに抱えている課題は多い。だから何時も私は中学の教師が務まれば「一人前の教師」と言ってはばからない。生徒対応、保護者対応など中学の教員は走り回っているがそれは高校の持つ「伝家の宝刀」がないからだ。義務教育故に「転学や退学」などは不可能に近い。その責任者たる中学校校長に理事職の職位を与えるのは問題なかろうと図って来たのである。このアラウンドを読んだ中学の先生方は「やったー!」と喜んでくれるだろうか。旧制浪速中学から100年の節目に現浪速中学の校長先生は評議員から理事になる。企業で言えば「取締役」だ。 


この8日には「第15回浪速中学校の体育祭」がある。私が着任して3年目に「中学で体育祭の無い学校など日本全国何処にも無い!」と叫んで始めたもので、それがもう15回目になった。歳を取ると涙もろくなるが昔の中学校を思えば目頭が熱くなって感無量である。昨年は「高天原ドリームフィールド」の竣功を祝って、そちらで行ったが、今年は元に戻して学校で行われる。生みの親としてこの体育祭に参加するのは楽しみの一つである。大体浪速中学の先生方は粒揃いで優秀な人が多い。浪速中学校の「弥栄」を祈りたい。