2022年10月7日金曜日

100周年記念モニュメント「祈願の碑」

 今月に入って「100周年記念事業の準備」を加速させている。明年4月30日の記念祝典まで後半年だが決して早くない。最早検討の段階は過ぎ去った。実行に移す時である。小さな事だが今朝ほど私は「伊勢神宮の来年度の暦」を各方面に配った。常務理事室、高校校長室、中学校長室、高校職員室、中学職員室、神道科職員室、入試広報室、事務室で合計8部になる。神宮から取り寄せたもので来年はこの暦を部屋の壁に吊り下げる。第1回入学式の生徒達は「遠足」に神宮に出掛け、爾来100年の歴史は神宮様と共に本校は有る。「伊勢修養学舎」となっても72年の歴史を数えた。今日、我々がこの地で「やりがいと生活の糧を」得ておられるのはこの学校を造ってくれた先達と見守ってくれた神宮の大神様のお蔭と考えるのは当然の事である。この「神宮暦」は素晴らしいもので壁に掲げるだけで空気が「凛と」したものになる。

色々とこの間考えて来たがやはり本校の精神的中軸になる言葉は「祈願(きがん)」であると最終的に判断した。「祈念」「祈り」と色々と考えた。どの言葉も「ある物事や願い事(願望)が実現するように、神仏に対して祈り願うこと」を意味しているが、本校の「肌にぴったり」くるのは祈願であると結論を出した。そして100周年記念事業として私は「モニュメント」を造作し設置することにした。このことは既に5月25日のアラウンドに書いている。モニュメントとは記念碑、記念建造物の事であり、比喩的に、後の世代に残すものである。今年の浪速中学校の修学旅行に付き添った私は萩市内の陶芸工房である「城山窯」で大きな作品に出合い、体が動かなくなるほどその場で立ちすくみ、感動した。これを購入し記念碑とするのだ。 



祈願はこのモニュメントの「名前」であり「銘」である。「祈願の碑」の正面台座に設置する言葉である。明治維新の原動力となった萩藩のお城近くの工房に所属する陶芸家「金子信彦」先生の渾身の作品であり、100年を迎える本学院が神社神道を根本義に持つ学校としてこれ以上の作品は無い。「祈願」はこの像の「意味そのもの」なのである。私が祈願の文字を揮毫し、銘板として張り付ける。その場所であるが5か月間考え校内あちこち見て回ったがやはり生徒が毎日目に触れる場所、月度一回の一斉参拝時に向かい合う場所として神社前「御垣外」の一角に設置することがベストと考え、今日雨の中に佇み、最終的に決めた。「祈りの松」と「大和心の桜」の丁度中間付近が良いと思う。写真で私が立っている場所だ。除幕式は明年4月30日の神前奉告時にご来賓と生徒の眼前で行うこととする。 



これらは公式な物だから法人費用から像の購入や設置工事代を出費することは全く問題ないが私は個人で負担することを決めた。今朝ほど〇〇〇万円を学校法人に寄付した。これで私個人の累計の寄付金は△△△万円になるが、これを充てるように記念事業統括責任者の常務理事に指示した。早速連休明けから具体的な作業に入って貰う。私も斎戒沐浴して心静かに「祈願の文字」を書かねばならない。祈願は本校にとって100年後もその先も「最も神聖な言葉」となるように願ってやまない。