2024年1月19日金曜日

「記紀」と開校100周年正史

 これはもう歴史書というより文学書と言っても良いと私は勝手な判断をしているが、歴史書の中で「記紀」という言葉がある。最古の歴史書と言われる古事記の記と10年後に完成された日本書紀の紀を合わせて記紀と呼ぶ。言ってみれば古事記は肩肘の張らない「言い伝えみたいな話を万葉仮名で編纂した書物」であり、これに対して日本書紀は「正史」とも言うべき当時の朝廷が漢字で編纂した書物である。幾分異なる内容が有るが大体同じようなストーリーで古代日本の創成期から41代持統天皇までの世紀を後世の為に残してくれている。この記紀のお陰で我々は「自分の国のはるか昔」を知る事が出来る。今本校は正史ともいうべき「開校100周年記念誌・・浪速書紀」を詳細に纏めている。担当は指導教諭のY先生と総務部長のI先生だ。どちらも国語の先生で「打って付け」と言える。 

昨年の4月30日、開校100周年奉祝祭当日にご来賓の皆さまにご披露しお持ちかえり頂いたのは「夢の軌跡」と「学院創立に携わった人々へ感謝の誠を捧ぐ」であり、これらはいわば前哨戦としての「古事記的」な冊子である。しかしこの古事記には当日の3式典である奉祝祭、記念式典、祝賀会に関する記事は全く含まれていないから100年目の高ぶった臨場感あふれる記述は当然無かった。この為に時期をずらして全てを包含した「正史」を纏めるようにしたのである。夢の軌跡に記述されている方々ではなくて、この時代を共に生きた新旧の教職員や関係深い協力会社の方々などの「生の声」や激動の世界史と組み合わせ、多くの記事を収録し後世に伝えるのである。最終編纂はまだだがVol:1とVol :2の2分冊に分かれ写真を多用し3月末1000部発刊の予定で進んでいる。費用は結構な値段となったが必ずこの正史は後世の人々のお役に立つと信じている。 



担当の二人の教師は「言葉数は決して多くないが、こつこつと仕事を進める有能な先生」であり、私は信頼して任せている。学校設置者である理事会を総理する理事長の指示を受けて、自分たちの知恵を出し、一生懸命に纏めてくれている姿に私は心を打たれる。開校100周年当日から8カ月、自分たちの本来の業務をこなしながらの仕事であるから大変だったと思うが今朝の進捗報告を受けた時に「編纂後記」として自分の名前を入れ、仕事を終えるように申し上げた。必ず良い物が出来ると思う。原稿を寄せてくれえた人々や大口のご寄付をして頂いた方々又ご関係の方々にこの100周年正史を贈呈して100周年関連の全ての業務は終了する。 


このように素晴らしい教員を有している私は幸せ者だ。ところで17日の各紙は奈良教育大付属の小学校教員が「校長以上に実権を握り」、学習指導要領を軽視した法令違反の課程や不適切授業を長い間行っていたと言う。しかしこれは確かに思い上がったベテランと言われる教師の資質の問題であるが、私は「校長にも大きな問題がある」と思う。法令違反を是正する権限があるにも関わらず放置した校長こそ罪は重い。国立の小学校の教員は国家公務員であり、国立の教員は元来我々のお手本となるべきだが、このように日本の教育現場では未だ社会の人々が見えていない暗い闇がある。記事の中に「言うなれば私立校のような状況に陥っていた」との学校関係者のコメントがあったが、これには「カチン!」と来た。私立校は閉鎖的ではないし、法令違反は無い。大体校長が教員を指導できないような私立校は有り得ないし、もしそうならそのような私立学校はすぐに潰れるだろう。私立は「親方日の丸」ではない。