100年の歴史で恐らく初めての快挙かも知れない。知れないと書いたのは記録に残ってないからだ。今日の卒業生で「木村賞」を授与した「中高一貫クラスのT君」が防衛大学医学部医学科に合格した。私は大声を上げて「やったー!」と叫んだ。この大学は入るのが超難関大学として知られている。防衛医科大学校(防衛医大)医学科の偏差値は70と言われているが、これは全国の82校の医学部の中で13位に位置していて、偏差値は極めて高水準である。2023年の時は偏差値69.8であったが、この時の東大理科一類が67.5だから、理Ⅰだったら防衛医科大学校医学部合格は東大が受かるよりも難しかったと言える。確かに防衛医大は東大の理三や京大医学部など最難関国公立医学部の「練習台、お試し台」として知られ、超頭脳明晰な受験生が大量に受験すると言われている。このT君は来る「京大医学部」にも受験する。私は初の防大医学部合格の報で嬉しく京大受験は頭から吹っ飛んでしまっていたが、天下の京大医学部だ!頑張って欲しいと激励した。多分京大も受かるだろう。
T君に差し上げた「木村賞」は御代替わりの令和元年に理事会の決議で設定された「本校最高位に位置する特別褒賞」であり、在学3か年間学業優秀、生活態度優秀で他の範であった生徒に授与されるものである。私が対象者を決めるのではなくて、学年団で慎重に審議され選出された生徒である。この褒章の名称「木村賞」も最終的に職員会議で確認されたもので平成19年から「浪速改革」を推し進め、飛躍的に本校を発展させたとして私の名前を後世に伝えるべく決まったものだと聞いている。私としては名誉な事であり原資は個人から「500万円」を木村育英奨学ファンドとして学校会計に納付した。又今後私がリタイアする時には経営功労金と退職金から「木村育英奨学財団」を設立し、そこに大口の寄付をして経済的に恵まれない本校生徒の為に使って欲しいと既に信託銀行に遺産管理をお願いしている。